● エチオピアの音楽を求めて ● 岡田 航


 まず、私がエチオピアに行くにあたっての目的のひとつが音楽である。
 私は音楽が好きで、現在音楽サークルにも所属している。巷の噂によると、「アフリカ人のリズム感はものズゴイ!身体の細胞ひとつひとつがノリノリだ!心臓の鼓動さえリズミカルだ!」とのこと。これは言い過ぎにしても、ファンクやリズム&ブルースなど多くのノリやリズムを重要とするジャンルの音楽は主に黒人発祥の音楽である。有名なところでは、ファンクの元祖ジェームスブラウンもやっぱり黒人。ディスコの帝王アースウィンド&ファイアーも黒人グループ。今じゃ白くて変態扱いされてるけど、マイケルジャクソンもやはり黒人。
 というような勝手な思い込みで書いてしまいましたが、黒人全員がリズム感をもっているのではなく、その他の人種にもリズム感がいい人はたくさんいます。まぁ、とにかく、人類発祥の地アフリカのリズムを感じたくて成田を飛び立ったのでした。

<モダンミュージック>
 それでは、現在のエチオピア音楽シーンについて紹介します。
 エチオピアで生活していて多く耳にしたのはプログレに演歌のメロディーを乗せたような音楽でした。演歌といっても暗くはなく、例に出すなら、細川たかしの「北酒場」のような明るい演歌ですね。コブシやタメが効いています。伴奏はプログレみたいです。AメロとBメロとか展開がよく解からないです。この種の音楽がエチオピアの歌謡曲らしいです。とてもノリがよくかっこいいんですが、ドラムは打ち込みなのか、多くが電気ドラムの伴奏でした。エチオピアでは太鼓類の楽器はあまり重要視されていないみたいです。
 他にも、海外から輸入されたヒップホップやレゲエのテープなども楽器店で売っていました。実際、50セントというヒップホップの歌手のTシャツを着た人を何人か見かけました。いわゆるロックミュージックは普及してないみたいです。

<民族音楽>
 エチオピアには80以上の民族があって、それぞれ民族色を出した音楽があるそうです。

例えば

牛追いの歌、求婚の歌、祝いの歌など様々で、カセットで売っているそうです。

 また、エチオピアにはアズマリといわれる弾き語りの歌手が有名です。結婚式などの祝いの場に現れ、マシンコ(後で詳しく紹介します)といわれる楽器を弾きながら漫談のような歌を歌ってくれます。ノってくるとお客の名前を出しながら歌ってくれたり、注文に合わせて即興で歌ってくれます。

<楽器>
 代表的な伝統楽器がいくつかあるので紹介します。今ではエレキギターやシンセサイザーなどの楽器が輸入されているが、今でも伝統楽器は庶民の生活には根付いています。

マシンコ 1弦のバイオリンのような楽器で、ひし形のフレームにヤギの皮を張って作られています。それを馬の尻尾で作った弓で弾きます。エチオピアでは弓を使って演奏する唯一の楽器だそうです。アズマリはこの楽器を演奏しながら漫談をしてくれます。日本でいえば、牧シンジのようですね。実際、弾いてみたのですが全然弾けませんでした。
クラール 6弦の竪琴クラールは、指やピックを使って音を出します。サウンドボックスは動物の皮や木や金属で作られています。
新年のパーティーの時に生演奏を見たのですが、低い音のクラールと高い音のクラール使っていて、ベースとギターみたいに使っていました。実際、ギターとベースで代用できるようです。エチオピアのテレビではベースとギターで演奏していました。
ケベロ ケトルドラムの1つで手やバチで演奏されます。本体は木の幹を使い、円柱に近い形をし、両画はなめした皮を貼り付けてあります。
さすがに本場アフリカ!躍動感あふれるリズムはこれがなくては!!!と思うのですが、新年のパーティーではあまりケベロを叩かずに、キ−ボードのリズムトラックに合わせて演奏していました。なんだかアフリカに来たのに残念でした。

結局、エチオピアでは音楽に触れる機会も少なく、アフリカのリズムというのはあまり感じられなかったけど、お土産にエチオピアのテープを楽器店で買ったので、それに期待しつつちょっと紹介します。

1.ROHA BAND 「Instrumental Music」
とりあえず、タイトルからも分かる通り歌はナシです。これはなんて紹介すればいいのか困りますね。ジャケットに男が6人並んでいるので多分6人編成のバンドですね。ギター、ドラム、ベース、キーボード、ラッパとあと一人分足りませんが、こんな編成でしょう。全体的に昭和の匂いがします。ムード歌謡のムードを足りなくした感じですね。あ、でも、ちょっと湘南エリアな曲も入っています。ドライブにはいい感じですね。なんにしても日本の70年代な音ですね。日活って感じでしょうか。

2.Takle's songs
イカしたギターを爪弾くおっちゃんのジャケットです。イカしてます!ちなみにこれも歌はありません。多分ギターがメインのバンドのようです。ジャケットの通りギターが主張してきますね。でも、いやらしくなくおしゃれな感じです。あくまで昭和の話しですが。ジャンル的にはフュージョンな感じですかね。エチオピア音楽よりロックに近いですね。まあ、でもドラムはあいかわらず電気的な音がします。残念。前のが日活なら今回はカドカワって感じでしょうか。

3.タイトルがアムハラ語なのでわかりません
いかした女性のジャケットです。多分、エチオピアの人気歌手ではないかと思うのですが、どうだか知りません。日本で言うと、天地マリあたりでしょうか。どうだか知りません。
今回は、エチオピア歌謡曲ですね。エチオピアの特色がでていると思います。全体的には落ち着いたムーディーな曲が多いですね。なんだか日本の演歌より、アメリカの昔のブラック系歌謡曲な感じがしますね。20世紀フォックスといった感じでしょうか。

 以上が、私が思うエチオピアの音楽事情です。音楽を言葉で表現するのはとても難しいのですが、とにかく、新年のパーティーで聴いたエチオピアの伝統音楽はすばらしかったです。少しアフリカを感じました。



● ラスタ村(シャシャマネ)にて。 ● 横倉 雅大


 首都アディスアベバから150マイルほど南へ行ったところに、ラスタファリアンの暮らす村がある。約400年前に奴隷としてカリブ海の国々へ連れて行かれた人々の子孫が、本来の故郷であるアフリカ、そのアフリカの中心といわれるエチオピアに戻りシャシャマネで、現在では250人ほどのラスタファリアンが生活している。この土地はエチオピア最後の皇帝ハイレ・セラシエから与えられた。このラスタ村に暮らすグラッドストン・ロビンソンさんに少しだが話を聞くことが出来た。

 彼はジャマイカの隣にあるバビドゥ(確かにこう言っていましたが地図に載っていませんでした)出身で、薬剤師としてニューヨークで暮らしていたが退職し、その退職金で1964年シャシャマネに移住した。国境は現在もアメリカ合衆国にあり、社会保険庁から毎月送られてくる800ドル(そのうち40%は税金としてアメリカ合衆国に支払っている)で生活している。

 ラスタ村について多くは聞けなかったが、自分の目で見た印象としては想像していたよりも穏やかな場所であった。庭では大麻や野菜などを栽培していて、観光客向けのお土産や生活雑貨などが売られていた。ラスタファリアンには、400年にわたる奴隷としての歴史があり、西欧社会をバビロンシステムと呼び忌み嫌っている。自分たちの事を戦士と呼び、バビロンシステムと戦っているという話を聞いたことがあったのでかなり緊張していたが、実際にラスタ村に着いてみると皆親切で戦士とはかけ離れた顔つきであった。神の国であるエチオピアに帰って来られたこと、自分達の故郷を取り戻したことは彼らにとって大きな喜びであったと思われる。戦地から帰ってきた兵士達、といった感じも受けた。しかし、ラスタ村に移住するのは経済的、また文化的(特に言語)にも非常に困難であり、移住できるのはほんの一握りの人たちであるという。また移住してきた人の中でも貧困、飢え、病気などの問題からシャシャマネを離れてしまう人が多い。1970年代にラスタ村の住人は2,500人から250人にまで減ってしまった。グラッドストンさんの一番目と二番目の妻も、貧困などの理由で子供たちとともにシャシャマネから出て行ってしまったという。こうした状況の中でも、エチオピアで暮らすということはここが神の国であり、真の故郷であるからなのであろう。

 ラスタは黒人解放運動、アフリカ回帰運動の中から生まれた宗教のようなものである。何かを変えていくための行動には身体的、同時に精神的にも確固たる物が不可欠と私は考える。そうした意味でラスタは、民族としての権利、文化を取り戻すといった運動と、意図的にエチオピア皇帝を黒人を神とした宗教が、根本原理となって誕生した。身体と精神の強い結びつきは非常に重要な物で、現状を変えようとする前に、精神を確固たる物にしなければならないと、ラスタを見ていて感じた。



● アベベチコバナ孤児院の訪問とNGO ● 小林 靖子


<1.はじめに>
 今回ゼミ研修旅行として約3週間、エチオピアに滞在した。エイオピア国内では様々な地域を回り、本当に様々なものを目にしてきた。数ある訪問先の中で、私は事前に少しではあるが調べていったエチオピアの孤児院というものに非常に興味があった。一体孤児院がどのような活動をしているのか?日本にいるだけではその情報はとても少ない。そのため実際に見てみなければ「孤児院」と簡単に言ってもその実態が分からなかったのだ。
 そこで今回は、訪れた孤児院について書いてみたいと思う。

<2.アベベチコバナ孤児院を訪問する>
 エチオピア南部の町アワサから、首都であるアディスアベバに戻って3日目の9月10日午前、アディスアベバ郊外にある「アベベチコバナ孤児院(Abebech Gobena Orphanage)を訪問した。ここは、営利を目的としない非政府組織(NGO)「Abebech Gobena Orphanage & School(以下、「AGOS」)」の創設者であるMs.abebech Gobenaの名前を冠した孤児院である。彼女はその活動を世界的に認められ、国連世界食糧計画(WFP)など数々の国際機関より賞を受け、「アフリカのマザー・テレサ」と呼ばれている。
 この孤児院は1980年、アベベチコバナ氏が恒例の巡礼でセントマリー教会を訪れた際に、ホームレスやお腹を空かせた人々の集まるシェルターの中で、両親を飢えで亡くし、自分たちも死の淵に立っているような2人の子供に気づいてアディスアベバまで連れて帰ったことが始まりである、とAGOSのパンフレットには書かれている。現在は約160人の子供たちがこの孤児院で生活しているという。
 両親を亡くした孤児(その理由は様々で、エイズで両親を失った子供もいればワニに母親を食べられてしまった子供もいる)を救うと同時に、AGOSでは孤児院の建っている地域のためのプログラムも数多く実施している。以下、いくつか挙げてみよう。

@アベベチコバナ孤児院が存在する地域はとても貧しい地域であるため、各家族は子供にも労働を強いる。そのためこの地域で生活している子供は学校に行かせてもらえない。
⇒ そこで、文具・服・教科書・給食などの物的支援を子供にすることで、子供が学校に来られるようにするプログラムが存在する。
A同時に、この地域は住宅事情もよくないので、コミュニティ全体の生活水準を上げるプログラムも動いている。
B学校に来られない若い女の子たちを売春といった性的な労働あるいはレイプから守る運動も存在している。
CHIV/AIDSの感染予防と感染後の対応をコミュニティ全体に向けて指導している。
D孤児院付近のコミュニティ以外でも、他国のNGOと協力して子供を総合的貧困から救う活動や、妊婦の抱えるHIV/AIDSや栄養不良といった問題をカバーする活動も行っている。

 このように、孤児院の中だけでなく近隣コミュニティのためのプログラムも多く実施されているのである。また、コミュニティのためには孤児院だけでなく学校やヘルスセンターも建設されていた。

<3.アベベチコバナプライマリースクール>
 エチオピアでは今もなお多くの子供たちが貧困によって苦しい生活を強いられている。2001年度版「世界子供白書」(国連児童基金「UNICEF」)によると、5歳未満児の死亡率の順位は世界で第19位となっており、栄養状態が悪いことがわかる。また初等教育就学率も男子43%・女子28%(1995-99年)と非常に低く、これは先にも述べたとおり家が貧しいために親が学校に子供を通わせないという背景が存在している。
 そこでAGOSでは、孤児院の子供だけでなく地域の貧しい子供も通うことのできる「アベベチコバナプライマリースクール」をつくり、少しでも教育を受けられる子供が増えるように活動しているという。この学校は先にも述べたとおり、あくまで「地元のための小学校」というスタンスで孤児院の子供に限らずに生徒を迎えているそうだ。
 2.で他国のNGOと共同で活動していると記したとおり、この小学校の建設に関しても他国のNGOが関わっている。このアベベチコバナプライマリースクールの建物はフランスのNGO「SOS Enfants(enfant=フランス語で「子供」という意味)」からの寄付によるものだという。ちなみにこのNGOは健康・教育・開発というようなトピックを扱うNGOで、特に教育面ではアフリカを中心に支援をしているようである。
 ここでは教育と同時に保育所や若い女性たち(売春に流れてしまう恐れのある女性)を保護するような施設の運営も行っているそうである。

<4.「Abebech Gobena Orphanage & School」の活動まとめ>
 以上のようにAGOSは非常に幅広く、多岐にわたって活動を展開している。パンフレットにはプログラムの構成要素が数多く記されている。最後にその構成要素を挙げておくことにしよう。

 これらがAGOSのプログラム構成要素である。つまり上を見れば分かるとおり、ただ孤児のための活動だけでなく地域のために様々な面からアプローチし、地域そのものがよい方向に向かうように努力している、それがAGOSなのではないだろうか。
 孤児院を訪問するということで、たくさんの子供たちと触れ合いたいとかそんなことばかりを考えていた。しかしながら実際に訪れてみると、孤児院だけでなくヘルスセンターやプライマリースクールなどの施設も見学させていただき、このNGOの活動の幅広さを知ることが出来た。
 インターネット検索サイトGoogle で「abebech Gobena」をキーワードとして検索をかけてみると、AGOSのHPも表示される。そちらにはアベベチコバナ氏の写真も載っていてパンフレットと同じ内容が掲載されている。しかしながら日本語のページは当然なく、やはりいまだに日本にいてエチオピアのNGOの活動を知ることは非常に困難なことであると私は思う。だからこそ現地に足を運んだ私たちのような学生などが、何らかの形でこのような活動を日本に紹介し、少しでもエチオピアに多くの人が関心を持ってくれるような状況をつくることが重要なのではないだろうか?そういったことこそが、私たちを温かく迎えてくれたエチオピアへの恩返しになるような気が私はしている。

参考
『世界子供白書2001(The state of THE WORLD'S CHILDREN 2001)』
発行:国連児童基金
「Abebech Gobena Orphanage & School」ホームページ
フランスNGO「SOS Enfants」ホームページ