● テロの季節 ●

テロの季節、 1つの文明の終わり・・・


その映像をぼくは、太平洋上の小国マーシャル諸島共和国の首都マジュロのホテルで見た。ゆっくりと突入する旅客機、上がる火柱。崩れ落ちる高層ビル。黒煙をあげるペンタゴン。CNN、BBC、NHKで、何度も何度も見たので、その光景はすっかりぼくの脳裏に焼き付いている。  テロの季節だ。自分も死ぬ気で、人を死の道連れにしようとする者を、だれが押しとどめることができよう。アメリカ式資本主義文明のたそがれ。・・・

この事件の3つの側面に注目したい。 第1に、これは攻撃的な自殺だ。このテロ犯人たちは、確信をもって、細心の注意を払って計画し、実行し、集団で自殺を遂げた。それはアメリカ政府がいうように、アフガニスタンにひそむウサーマ某が司令したものかもしれぬ。だが、彼らは、そんなとんでもない命令を主体的に受けとめて、周到に準備し、実行して、死んでしまった。犯人はすでに死刑になってしまっている。ぼくはそんな彼らの主体性に注目したい。このような死を主体的に選ぶ者たちがかくも大量にいて、しかも、さらに続々と現われそうなことに注目したい。ちょうどそのころパレスチナでは、連日のようにイスラエル軍や入植地に対する自爆テロが報じられていたではないか。

第2に、これは他人をまきぞえにする自殺、無理心中だ。突入した飛行機の乗客は、たまたまテロ攻撃の手段として使われただけであって、確固とした攻撃目標ではない。このテロ犯人たちは、まさしく、目的のためには手段を選ばない。たまたま飛行機に乗りあわせただけの人を巻き添えにして殺してしまえるような、人の命に対する無差別の無頓着さに注目したい。

第3に、これは象徴的な場所への破壊攻撃だ。アメリカ軍とグローバル資本主義経済を象徴する建物、シンボルへの攻撃。…もちろんそこにいる人を殺すことも当然考えられていたにちがいない。でも、アメリカ軍の司令官や多国籍企業の支配者の確実な暗殺を狙ったものでないことは確かだ。ペンタゴンという五角形のビル。世界貿易センターという双子の高層ビル。破壊目標は、建物であって、たまたまそこにいた下っ端労働者の死は、いわばおまけだったにちがいない。建物の支配者たちはぴんぴんしている。アメリカの大統領も、軍司令官も、どの多国籍企業のCEOも、筆頭株主も、ひとりも死んではいない。…こういうのを建物フェチというのだろうか。暗殺のプロが聞いたらずっこけそうな大がかりな拙劣さ。アメリカ軍と多国籍企業の世界支配にとって、ほとんど打撃になりえない自殺攻撃。…犬死。でもぼくは、アメリカの繁栄と支配力のシンボルでしかないものの攻撃に命を捧げるものが現れたことに注目したい。

自殺志願者の急増。命への無頓着さ。シンボルのための命をかけた争い。…生きることの喜びをすなおに感じることができないほどの、極限の貧困と混乱と環境破壊におかれてきた社会にみられる特徴。・・・だがこれは、中東のリアリティだ。パレスチナ問題の現状。いや、アフガニスタンでも、第三世界のあちこちでも…。しかし同時にそれは、アメリカとそれを支持する先進国のグローバル資本主義世界のことでもある。スーザン・ジョージ著『グローバル市場経済生き残り戦略;ルガノ秘密報告』を読み、 マーシャル諸島で地球温暖化による海面上昇で島が沈没しつつあることを実感したものには、そう思えるのだ。

 第1に、核兵器、原発、遺伝子組み換え、環境ホルモン、地球温暖化に導くガス排出…。 どれひとつとっても、ビッグビジネスの利益がからまぬものはない。先進国のビジネスと政治のリーダーたちは、激しい競争の中で組織が生き残るようにするために、自分が死んでも組織が生き残り、優位に立つようにするために、取り返しのつかないことを、確信をもって、周到な準備のうえに、実行しつつある。自分も含む人類全体の自殺。それが彼らエリートの仕事なのだ。そんな自殺志願者が先進国にも大量に現れていることに注目したい。
 第2に、競争の中での自分の組織生き残りのために、自分だけでなく、無差別に全人類を巻き込んで殺してしまうような、人の命に対する無頓着さ。
 第3に、組織を作る人間のためではなく、組織そのもの、組織のシンボル生き残りのための命をかけた闘い。人間も自然も死に絶えたあとに残る組織・・・の痕跡。りっぱな高層ビル。不思議なかたちの巨大な建物。ペンタゴン。貿易センタービル。古代文明の廃墟みたいに。そんな組織のシンボル、廃墟を残すために命をかける人々。

アメリカ式の資本主義が世界中に広まり、世界がアメリカのようになっちまうと、人類は滅んでしまう。宇宙船地球号をハイジャックして太陽につっこむエリートたち。ペンタゴンと貿易センタービルの支配者たちには、どのみちお引き取り願うしかない。日々素朴に生きることの悦びの輪を世界中に広げて、身の回りから少しずつ、人間と地球のいい関係をつくりなおしたい。中東の、第三世界の若者よ、絶望するでない。自殺するな。犬死するな。俺たちがいる。私たちがいる。・・・と言える私たちになりたい、ね。

(2001年10月17日)



● 情熱のカリブ海の夜更けに ●

2001年8月 キューバ、ジャマイカ


<ジャマイカ!>
4年に一度開催される社会教育の国際会議がジャマイカで開催されるという。日本からその道の専門家が徒党を組んで参加するらしい。…
ジャマイカは以前から気になる所だ。イギリスに住んでいるころ、ジャマイカ出身のアフロ・カリビアンの学生や知人が多くいた。…昔のゼミの学生でレゲエ音楽やその歌い手ボブ・マーリーについて、ずいぶんおもしろい論文を書いたやつがいた。…奴隷の歴史について世界的名著を書いた人はかつてジャマイカ大統領だった人じゃなかったっけ?…(あとから調べると、『資本主義と奴隷制』の著者E・ウィリアムズはジャマイカではなく、トリニダード・トバゴの首相だった人。

<おらもいく!>
そんな話を聞いたのが昨年の暮れで、早々とその話をしてくれた社会教育論担当の同僚に参加予約。春頃には、話が具体化してきて、その同僚たちはキューバにもよるけど、くるか?と。…もちろん、おらもいく!
なにもしなくとも汗がたらたら流れる季節になると、航空券の予約だの、日程の確認だのへて、気がつくと成田空港行きの電車の中。愛知県に住むブラジル日系人支援のNGO活動をやってるというAさんと話に花。…わたしよりすこしだけ若いAさんは、大学で教えるかたわら、そのNGO活動をやり、山梨の地元の社会教育にも参加し、さらにそこで送電線やら携帯電話の鉄塔の電磁波公害問題に取り組む住民運動まで組織するという行動派。3日間続く近所総出の村のお葬式にもしっかりつきあってるそうだ。ブラジル留学経験もあるだけに、ラテン系のぼーっとしたところのある、おもしろい人。今回の参加者のリーダー兼世話役でもある。…これに今年ある私立大学を定年退職した快気炎熟年のBさん、それにわが同僚のCさんを加えて、4人のヤジ喜多道中でヒューストン、メキシコシティー経由、ハバナへ。

<カルナバル・デ・ラバナ!>
社会主義体制を維持しながらの開放経済。アメリカの厳しい「経済制裁」下に置かれているこの国は、しかし外国人にとっては完璧な米ドルの世界。空港からホテルまでのタクシー、ホテルのレストラン、道端のみやげ物屋、・・・すべて米ドル払いだ。さすがに道端のホットドッグ屋はペソが基本らしいが、店の人はペソを米ドルで読み替えて請求する。・・・もちろん公定レートと闇レート(?)との違いはかなりあるらしいが、こっちは気前よくドル払い。おつりでくるセント単位の小銭はよくみるとキューバのペソだったりするので、こういう観光客向けでない道端の店で使ってみたりする。
ホテルの近くの海岸が夕方になると騒がしいのは、カーニバルがあるせいだという。ハバナのカーニバル、カルナバル・デ・ラバナといって、去年くらいから始めた行事だとか。さっそく繰り出してみれば、ものすごい人出。海沿いの大通りが鉄柵で囲われ、その両側に観覧席が作られていて、その外側にはテントの飲み屋やレストラン、ビール屋がずらりとならぶ。・・・

<人民ビール>
石油を入れる小型のタンクのようなものの前に行列ができていて、油紙でつくった筒の不思議なジョッキに次々と注いでいく。50センターボだかの表示がついているが、ここは外国人らしく、2杯たのんで1ドル紙幣をわたせば、係のおニイサンは「Muy Bien!(とてもいいね!)」とニコリ。・・・かなり気が抜けて、水っぽいビールだが、よく冷えている。見れば道行く人はみんなこれを手にちびりちびりと、男女抱き合っていたり、子供の手をひいていたり。・・・正直な同僚が一口飲んで顔をしかめているところに、「どうだ? うまいか?」と通りがかりの人。しかめ顔をみて「まあね、あんまりうまくないんだよね、・・・」と、少し情けなさそうな顔。「Me gusta mucho!(おら好きだよ)」と怪しいスペイン語でにっこりフォロウを入れるわたし。・・・なんと、テントの下にテーブルを並べるレストランは、みなドル表示で、キューバで作ったハイネケンの缶を売っている。ドルのない人だけが道端を歩きながら油紙ジョッキの人民ビールなのだ。

<ぼく、ストリートチルドレン!>
テントの屋台中華屋で春巻きなどを食う。隣のテーブルは、ハイネケンの緑の缶をずらりと並べたビール腹の男とその家族。ときおり道行く人の中に物乞いが混じる。切断した手とは反対側の手でコインを集めて回る。隣の家族連れも気前よくコインを差し出す。だがその次にきたみすぼらしい服装の老人にはなにやら言って、追っ払ってしまう。…だんだん暗くなるうちに、人通りも多くなり、通りから離れたわれらのテーブルにも、子どもの物乞いが現れる。スペイン語のかなりできるAさんは、小学校3,4年生くらいのその男の子となにやら話し込んでいる。「ぼく、ストリート・チルドレン、なんて言うんですよ、この子。でも聞いてみると、親類の家で寝てるらしいんですけどね。夕飯食べてないからお金くれなんていうから、なにか買ってやるっていうと、いらない、なんて言うんですよね。」とAさん。離れて突っ立ってるその少年を尻目にビールをのみほし、腹を満たし、出かける段になって、また少年が現れ、Aさんに何やら…。「あそこのピザを買ってやることにします。」とAさんは少年とともに隣の店のピザカウンターに並びだす。こっちは、ストリート・チルドレン論議をして待つ。とみれば、Aさんは、懐から名刺を取り出して渡し、ピザの袋を持つ少年に別れを告げている。…「学校にもいってるし、字だって書けるなんていうから、じゃ、手紙ちょうだいって、名刺渡してきましたよ。」とAさん。

<残飯回収おじさん>
そんな間にも、よくみれば、スーパーなどでくれるような白いビニール袋に、立ち上がって店の人が片づけにくるまでの瞬間を狙って、自主的に残飯を回収して歩いている男がいる。影のように暗闇にまぎれようとするそぶり、食べられそうなチキンの切れ端だけをほうり込むやり方は、晩飯のおかずを集めているとしか思えない。…

<胸騒ぎの腰つき>
初日は山車出発点あたりのビール屋台のテーブルからハバナ大学の山車を見上げる。2日目は、1人2ドル出してダフ屋のお兄さんから仮設観覧席に入って、次々通る山車を見下ろす。もっともぼくはいちばん道路際のかぶりつきに降りて見上げていたのだが。…どっちにしろ、人々の視線は、激しくくねくねと揺すぶられる踊り手の腰に。ビール屋台のテーブルでいっしょになったお兄さんのガールフレンドは山車の上の踊り手。ハバナ大の学生だという。熱い視線、投げキッス、どうだ、と自慢げにこっちを見る。…それぞれの山車には激しいリズムの楽隊と、男女の踊り手。山車の前を練り歩く楽隊と踊り手のあとに山車がくると観客は総立ちになって、いっしょに踊る。…ときに観客おばさまのほうが腰の動きがきまっていたりして…。

<まじめ1本おまわりさん>
そんな観客が腰を振りつつ踊り手に混じっていこうとするのを押しとどめるおまわりさん。5メートルおきくらいに制服をきて突っ立っている。時々知り合いらしいのから飲み物をもらったりするのもいるが、おおむね、まじめに黙々と勤務。よくみれば、観覧席の外でもやたらと警官がうろうろ。
最後の山車が行くと、観客がどっとそれについてなだれ込もうとする。それを警官がスクラムを組んでおしとどめるが、徐々に押されて、最後の山車の後ろ数メートルを守る警官の壁の外側は解放区に…。

<革命防衛委員会のおうち>
観覧席で知り合った40すぎくらいのおばさまの家を翌日訪ねる。Aさんが住所を聞いていたのだ。再開に大喜びの彼女。ホテルのある中心部とはずいぶんちがう住宅街。ブロックづくりの2階建てが長屋のように連なっている。入り口の横には「革命防衛委員会」の看板。…彼女の父はこの地区の委員で、毎月、老若男女の隣組住民が、この家に集まるのだという。テレビとはらわたのとびだしたソファのある居間に通される。…アメリカでスパイ容疑で逮捕されているキューバ人を釈放せよ、アメリカのテロ(ハバナのホテルでなぞの爆破事件があり、CIAのしわざである可能性が強いいう)と経済封鎖に抗議する、といった内容のポスターを進呈してくれる。…日本のお土産の手拭いやら折り紙やらで大喜びの子供たち。たまたま遊びにきた近所の女の子も頬を差し出して、順番にキスをもらったあとで、いっしょに折り紙をして遊ぶ。…じろじろあたりを眺める私たちに、家をみたいんでしょう、と、彼女はひととおり案内してくれる。居間にある大きなアンプはミュージシャンの夫のもの。その奥の部屋は板づくりのベッドを置いた子どもの祖父母の寝室。その奥には冷蔵庫とかまどのある台所。2階には質素だがベッドの置かれた夫婦や子供たちの寝室。コンクリートの床、所によりコンクリート・ブロックむき出しの壁。…

<近所の小学校>
教育関係者の団体よろしく、小学校見学をリクエスト。子どもといっしょに強い日差しの中を歩く。夏休みだが、女性などが数人たむろしている。精悍な43才の女性は、校長だ。掃除の職員らと立ち話をしていたのだ。学校の毎日、掲示板にあるキューバの偉人たちのこと、国旗のこと。…どんな質問にも的確に答えてくれる。今は休みだが、いつもは、朝早くから夕方まで、学童保育のようなこともやっているという。昼前の暑い日差しのもと、大音量でキューバ音楽をかけ、学校の向かいの家にのんびりたまっている若者たち。
…ほんの行きずりの観察でえらそうなことは言えないが、カーニバルの夜会ったレベル以上のストリート・チルドレンのいない国。ホームレスのいない国。…3月に訪れたベトナムと比較してさえ、第3世界としては画期的に人が生きる権利を保障しているといえないだろうか。

<総動員社会>
とはいえ住民は、末端の革命防衛委員会のような隣組のレベルで完全に把握されているにちがいない。まじめな若い警官がずいぶんたくさん。Aさんから「カストロは好き?」と水を向けられて「Si!(そうだよ)」と答える7回離婚していまの奥さんは8人目だというタクシー運転手。「ドルがない地元の人はタクシーに乗れないの?」ときくと、「Si!」。トレーラーを改造して人々を満載したすごいバスは、以前私がきた93年には走っていなかったものだ。タクシーの数もずいぶん増えた。そのぶん町の空気はよごれて、ほこりっぽくなった。そういえば、われらを迎え入れてくれた革命防衛委員会の家の彼女も、前夜のカーニバルからの帰りは、トレーラーが満員で、深夜に1時間以上歩いて帰ったという。彼女の家でつけっぱなしになっていたキューバ・テレビに出てきたカストロは信じられぬほどよぼよぼだが、しっかりと絶叫していた。…圧倒的な富と力のアメリカの脅威を前にしたローカルな人々の連帯感。それを保つ総動員社会を可能にしているのは、対キューバ制裁を強化するアメリカではないだろうか。侵略のために連帯したファシズムとはちがって、侵略の脅威をはねかえすために人々が連帯する総動員社会。さしあたりの衣食住。音楽と踊り。パートナーを取り替える自由。腰を振る男女の秩序を守る警官。…

<キューバのハイウェイ>
最終日の前日、ハバナから西に舗装された滑走路のようなハイウェイをすっとばして3時間ほど。さらに山越えをして北海岸からモートーボートで20分ほどの島にあるリゾート・ホテルへの日帰り昼飯つき60ドルのツアーに参加。なるほどキューバは広い。…ハバナの喧燥を離れて、しばらくすれば、いけどもいけどもサトウキビ畑や牧場、森林。西部劇に出てきそうな田舎の町。くわをかついだ農夫。…船着き場の集落には水田があって、数人の男たちが並んで手で田植えをしている。…マングローブの海岸の内海から島へ。島の北岸は、エメラルド・グリーンの輝く珊瑚礁の海。白くまぶしい砂の浜。トップレスで寝そべる外国人観光客。さらにボートでダイビングのポイントへ。波間に浮かぶマンボウ。シュノーケルで見る海中の珊瑚と魚たち。…もっとも、有名なカリブ海温暖化のせいか、死んだ珊瑚が灰色に散らばる海底が目立つ。

<生態系と調和する農業?>
マングローブ地帯や自然公園になって開発を免れてきた山の植生の多様な豊かさに比べると、緑の草地が延々と続き、牛が草を食む牧場や、広大なサトウキビ畑は、とっても奇妙。植民地時代のプランテーションをそのまま協同組合にして受け継いだに違いない。…たとえ最近一部のNGOによってタイやフィリピンで、またラテンアメリカ各地でも試みられている自給的な、多品種混合の地域生態系に適合した自然農法の導入はないのかしら。…スペイン人以来500年の生態系破壊の歴史。そいつを克服できないまま、キューバ先住民を滅ぼした後に奴隷として連れてこられた人々の反乱は頓挫してしまうのだろうか。…

<涙のセレナーデ>
その夜は、ホテルの展望レストランでビール。流しのバイオリンひきのキューバ音楽。気がつけば、閉店近い深夜。客はわれわれだけ。バイオリン弾きのおじさんがテーブルに近づいてくる。…キューバのものを、というリクエストに答え、何曲かやってくれる。話に忙しく、チップを渡すでもなく適当にあしらっているわれわれ。ふと目が合ったぼくに、自分のテープを買わないか、と懐から手製のカセットテープを出す。5ドルだという。曲名が手書きで入ってるおもしろさに、私はそいつを購入。Bさんが、彼の一番好きな曲をやってもらおう、という。「いちばん好きな音楽?…クラシックさ。バッハ、ベートーベン、モーツアルト。ぼくは、交響楽団の団員なんだ。」と、彼は、胸につけたバッジを指さす。そしてバイオリンをとると、突然、あたりを圧するような音色で、モーツアルトのセレナーデを弾き始めた。20階を超すそのレストランからのハバナの夜景。くたびれたスーツにネクタイ、バッジをつけて深夜まで流しをやる音楽家。酔っ払い貴族に芸を売って生活してきた芸術家たちの屈辱。しかし厳しい訓練の末の圧倒的な自信に充ちた美の表現。…こんな奇妙な迫力に充ちたモーツアルトは初めて。目が涙でいっぱいになってしまった。

<肩身のせまい白人たち…>
ジャマイカは黒人ばかりの世界だ。ハバナから飛んで東へ数時間でキングストン。それから1時間もしないうちに、ジャマイカ島北側のモンテゴ・ベイ飛行場。そこからバスで3時間ほど。途中の休憩所で食べた鶏と豚焼きのぴりっと辛くてうまいこと。アフリカにきた雰囲気。でも、たしかに例の編み上げ髪の男性の多いこと!  しかしそれから数日われわれが缶詰になるのは、全食事つきの海辺の高級大規模リゾートホテル。ICAE総会とやらのはじまり。…アメリカからくる黒人が多いのだろうか。地元の人は、観光客はみんな外国人だ、というが、この高給リゾートも黒人ばかり。プールのバーに鈴なりになったにぎやかな黒人たちの中に、ちょこんとすわる浮かぬ顔の白人男性ひとり。ホテルのディスコには、踊るともなくきょろきょろして所在なげにビールをなめる、場ちがいを絵にしたような白人グループ。もっとも曲はスローなレゲエ調で、踊りにくい…!

<ICAE?>
国際成人教育協議会。International Council for Adult Educationの頭文字をとって、みんなICAEと呼んでいる。  世界中の成人教育に関する団体や学会が加盟する最大の国際組織。日本からは、学会としては、日本社会教育学会、民間団体は文部省系列(という話!?)の社会教育団体と、それに批判的な人々によってそこから独立して結成された団体(社会教育全国協議会)の3つが仲良く加盟している。  4年に一度開かれるその総会では、世界の成人教育について、学習権宣言やら、行動提起などを行ってきているという。世界銀行(なんと代表は本部勤務の日本人女性)や、ユネスコ代表、教育援助の実績をもつ欧米のNGOなども参加し、第3世界への社会教育関係援助の交渉場にもなっている。初めての参加者が多い日本からの社会教育関係者は、公民館行政を中心に回る日本との事情の違いに、かなりのショック。

<Time For Action!(いまや実行のとき!)>
今年の大会の標語はこれ。識字教育、生涯教育、世界人類の学ぶ権利を保障しよう! じゃあ、何をやるか。こいつを話し合おう、というわけ。…そのくせ、ずいぶん儀式ばった開会式。…白ける各国旗の入場。ジャマイカや西アフリカの踊りはいい! ジャマイカ大統領の歓迎演説。これが意外に楽しめる。植民地支配の遺産をもつわれらは教育がないことで、力を奪われているのだ。世界の格差はますます広がっている。こいつを教育の力で変えるんだ!…明確で知的で力強いメッセージ。なんだか中身のない日本の政治家の演説を思い出して情けなくなる。…

<教科書モニタリング…>
平和教育の分科会に出ると、イスラエルのNGOの提起で、歴史教科書のNGOレベルでのモニタリングをやろう、という話がでている。で、わたしも、つい日本の教科書問題のことを力説して支持発言。…南アフリカのNGOが平和教育のプログラムで経済的不正義を取り上げていることなどを発言。暴力事件が激増した南アフリカの厳しい経済事情、失業、経済格差など暴力の構造的な原因に迫っているでないか! …なぜかみんな女性だったエジプトやシリアの代表とアラビア語でしゃべる。パネル討論では、そのエジプト女性が市民社会のイニシアチブを訴える。ザンビアの女性NGO代表も、国家主義的教育を強く非難。…そんなこんなが意外におもしろくて、あっという間の4日間。

<オチョ・リオス>
最後の日に、知り合った関係者に案内を頼み、自家用車で地元の社会教育施設見学。海を見下ろす山の斜面にはりついた町。観光が主な産業。海岸ぞいには、巨大なリゾートホテルが並ぶ。人々は山際に住む。日曜朝なので教会からすこしけだるいアフリカ式ハーモニーの賛美歌が響く。じりじり照り付ける太陽。小学校教師から地域成人教育センター長になった彼が、鍵をあけ普通の民家をそのまま転用した地区センターのだれもいない図書室、教室、事務室を見せてくれる。登録は60人ばかり。算数や英語の識字クラスなど。人々の日常会話は、西アフリカの言語の文法に英語の単語をあてはめたようなクレオール語なので、英語は学校で習うものだという。…職業教育の生徒が作った手工芸の作品や、手製の果物ワインが展示してある。壁には、感染者の生々しい性器写真をずらりと並べた性病啓発ポスター。ついしげしげと見入ってしまう。旧式のコンピューター。カナダのシステムだという通信教育用のでかい通信機。販売用書架には、ジャマイカ独立の国民的英雄の伝記。初等用英語教科書など。

<西インド諸島大学>
ホテルへの帰途、西インド諸島大学の学習センターへ。今日は休みだよ、という彼に、外から見るだけでいいから、と。西インド諸島大学はカリブ海の英語圏諸国がいっしょにつくった大学で、本部はジャマイカの首都キングストンにある。通信教育に力を入れていて、各地にちょっとした教室のある学習センターをもつ。わが地区成人教育センター長も、 ここの通信教育で学位をとったという。小学校教師のときと比べて、給料はそんなに変わらない。前からとにかく少ないんだ、という彼は、しかし生真面目な努力家なのだ。「キングストンは我々の恥だ。あんな危険なところはない。でもこの町は安全だよ。…もっともキングストンはジャマイカの誇りなんだ。」…コロンブスの「発見」後にせん滅された先住民に次いで連れて来られた奴隷たちの度重なる反乱。スペインからこの島を横取りしたイギリスからようやく独立したのは1962年。それでも、いまだにイギリスのエリザベス女王を君主と仰ぐ政体をとるこの国の歴史をもっと知りたいと思う。

<やばい夜の気配>
ひとりで町へ買い物にでかけた。すでに日は落ちかけて薄暗い。ホテルの通用門から出て、仕事あけの従業員らしき女性2人連れのあとを歩く。別のホテルや外国人向けレストランを横目でみながら歩き、彼女らがバスを待つ町の広場に出た。…数人ずつだむろする男性たちの姿。制服を着た警官数名が広場の隅でにらみをきかせる。おそろしくみすぼらしいホームレス風の男がふらふらと歩く。…バスを待つ男たちの強烈な視線を感じ、こっちは大股で広場を横切り、道端で駄菓子を売るテントの下に身を隠す。あたりをちらちらと見渡しつつ、物売りのお兄さんと話しながらあれこれ品定め。おみやげ用に手のひらほどの袋入りのジャマイカ製バナナチップをジャマイカドルでお釣りのいらないように数袋買い込む。喜ぶお兄さんとがっちり握手をし、すばやくあたりをみわたしつつ、足早にホテルへ。…門番のガードマンの姿が見えるところまできて、すこしほっと息をつく。

<別世界の夜>
帰国して調べてみれば、ここ数年のジャマイカ経済はマイナス成長で、失業率はずっと16%以上。キングストンはもちろん、オチョ・リオスでさえ夜の一人歩き、昼でも公共バス利用は危険だからひかえろ、とある。同じ黒人でも、町を歩く人ででっぷりと太った人は眼につかない。だがホテルでは、腕に料金を払ったしるしのビニール製腕輪をつければ、4つあるレストランのどこで何をいくら食べても飲んでもタダ。この別世界では、もともと太った人々が、日がたつに連れ、ますますでっぷりと、大人も子供も腹を突き出して歩くようになるのだ。…帰途、悪天候のため2泊を余儀なくされたマイアミで感じたアメリカでは、でっぷり太った腹はむしろ健康な食事とスポーツをする閑と金がないまま、ストレスから過食になった黒人たちの貧困を象徴している。

<ダンス、ダンス、ダンス!>
ホテルの酒池肉林レストランのステージで地元のジュニア舞踊団がやるジャマイカの踊りを見た。そいつはレゲエなどよりも明らかに古い植民地時代の踊り。白く長く膨らんだスカートの裾をもつ少女たちのドレスとズボンの少年たち。アフリカのリズム。イギリス風の旋律。…盛り上がってきた最後の踊りでは、魅惑的に尻をふりながら踊る少女に合わせて腰を振る少年たちが迫る。その中からひとり、少女に選ばれた少年が少女の背後で腰を合わせて踊り、ついに片足をあげて少女の尻に飛びつくのだ。…どっと沸く観客。鶏の交尾を思わせる踊り。…ふと、タンザニアの高原でみた数珠つなぎになって男女が前後に激しくしかもなまめかしく腰をふるダンスを思い出した。
激しい労働の後にこのダンスではとても脂肪を蓄える暇などないだろう。奴隷農場の主人たちも奴隷の繁殖につながるこの踊りを阻止できなかったにちがいない。財産を奪われ、生産手段を奪われ、裸一貫になった奴隷たちに最後に残された肉体。その肉体で創り出す唯一残された歓びとしての性の歓び。その歓びを集団で分かち合おうとするのが、カリブの民衆たちの踊りではあるまいか。世界史のどんづまりで、無一物から生きる歓びを創り出すことができるとすれば、…こんな貴重なものはまたとない! こうしてカリブの、いやラテンを含む中南米の音楽と踊りは世界の貧民たちのものとして蘇ったのではあるまいか。…ICAE総会最後の夜のレセプション。カリブ地域に連れて来られた多くの奴隷たちの故郷西アフリカ、セネガルのミュージシャンたちと踊る。おっと、彼女裸足だぜ。足踏んずけないようにしないと!

(2001年10月8日)