● カンザー地区マングローブ植林活動見学 ●
― 2001年3月2日 : 山崎 恭子、正田 剛章、溝内 理紗 ―
3月2日、岡野内ゼミ一行は、朝からマングローブ植林行動計画(ACTMANG)のベトナム駐在の浅野さんに同行していただきながら、カンザー地区のマングローブを見学しその活動に参加すべくバスに乗り込んだ。研修のスケジュールも佳境に入り、少々疲れがたまってきている中、熱帯地域独特の強烈な太陽。睡魔が襲ってくる。でもがんばるんだ!だって私達はマングローブを植林するんだもん!足はドロドロ、グッチャグッチャ。でもいざ植えるとなると、みんな泥遊びをするやんちゃ坊主!やんちゃガール!楽しそう!くまちょんさんは前日のはだしサッカーで負傷のため不参加。残念。何はともあれみんな頑張りました。
みんなが植えたあのマングローブがいつかマングローブの森となり、人も含めた動物・植物のオアシスとなることを祈りつつ。
<マングローブの生態>
マングローブというのは、暖かい地域の川の水と海水が交じり合うデルタ地帯に生息する植物の総称である。潮が満ちるとまるで海に浮かぶ森のように見えることから、「海の森」と呼ばれている。世界に約百種類程あり、にっぱやし、オオバヒルギ、ヤエヤマヒルギ…等種類は様々である。他の植物と大きく違う特徴は、塩分の入った海水で育つことである。根で塩をろ過して真水にしてから体内に取り入れるものや根から塩分をそのまま吸収して、葉から塩分を出しているものもある。葉に白い粉を吹いているものがあったので、舐めてみるとたしかに塩辛かった。水中に落ちたマングローブの葉や小枝などは微生物によって分解され、プランクトンの餌になる。プランクトンを求めて稚魚やエビ、カニ、貝が集まる。その稚魚などを求めて大きな魚が、そして鳥がやってくる。そしてそれを求めてもっと大きな動物そして人がやってくるのである。
マングローブは、このような生物の食物連鎖の形成に中心的な役割を果たし、天然漁場となったり、海岸線や岸辺に密生した林は、台風(サイクロン)の高波、暴風による被害から人々の生活を守ったり。薪や炭、建築用材になったり、家畜の飼料などを供給したりして人々の生活になくてはならないものである。
<ベトナムにおけるマングローブ>
ベトナムはかつて広大なマングローブの森が広がる動植物のオアシスであった。様々な種類の魚介類、サルやシカ・トラなどがいたそうだ。しかし、ベトナム戦争がおこり、ベトナムゲリラは米軍の攻撃から逃れて、マングローブの中を移動していた。
そのため広範囲にわたったマングローブの林への枯葉剤散布が行なわれたのだった。枯葉剤によって全ての葉が枯らされ、木も全滅した。木がなくなることにより、長年豊かだった土壌は荒れ、湿地帯は干からび、それにより多くの動物も消えていった。木々が全て枯らされ、ぼろぼろになったカンザーの写真は、かなり衝撃的だった。
戦後ベトナムは「戦争で失ったものは人民のてで取り戻そう!」というスローガンのもと、人々の手で地道な植林活動が行われてきたため、マングローブの森は回復しつつある、かつていたサルも戻ってきた。海老などの養殖や塩田もかつてまであったところ以外、これからは林を伐採してそれらを作ることは禁止されているため、よく言われる環境破壊からは守られている恵まれたところなのかもしれない。しかし、まだ完全とは言えない。
<世界のマングローブ林>
世界のマングローブ林面積は、1980年時点で約1,500万ヘクタール(国連食糧農業機関「FAO」)。かつては熱帯地方の海岸線の半分を覆っていたマングローブ林は、近年の経済開発によって世界各地で急激に減少している。特に、アジア・太平洋地域での減少スピードは著しく、この20年間に半減、あるいは壊滅的に減少していた国もある。
その原因には、海老の養殖池や農地・塩田などへの転換、沿岸開発のための埋め立てなどがある。ベトナムのように戦争によって破壊されるマングローブもあれば、そのような経済的な問題により着々と破壊されるマングローブもあるのだ。
<おわりに>
これまでに極めて多くのマングローブが人間の手によりこの地球から消滅してきた。その理由は様々であるが、戦争同様、「えびと日本人」などで日本が批判を浴びた理由は、エビの養殖により広大なマングローブが犠牲になり、日本がそのエビを大量に輸入していたことだった。現在、政府が規制したり、NGOなどが植林活動をしたりしているが、一度失われた自然を取り戻すことは容易ではない。マングローブが失われる事により、そこにいきる生物はもちろんの事、地域の住民までもが被害をうけるのだ。戦争を繰り返さないこと。そして、身勝手な贅沢消費者にならないこと。
そのために、まず私達が出来ること。それは、もちろん植林活動に参加して実際に木を植えることも必要かもしれないが、まず、 毎日の生活の中で自分達の消費しているものがどのようなルーツでやってきているのかをきちんとチェックすることであるのではないか。それは、マングローブ林に関することだけにとどまらず、全ての企業が「環境」という視点を持って、利益だけを追求するのではない企業活動をするように賢い消費者としてチェックしていくことではないだろうか。
(担当:溝内 理紗)
<マングローブと浅野さん>
マングローブ植林地帯のカンザー地区を見学したとき、マングローブ植林行動計画でNGO活動をしている浅野さんに案内してもらった。バスに乗りフェリーにも乗り、辿りついてまず驚いた。もっと何もない状態かと思ったが、世界的にもよく成功した地帯といわれるのも納得ってほど植林が進んでいた。船に乗り、奥地へと向かった。陸に着くまで結構長い時間かかったが、飽きないくらい果てしない緑が広がっていて、じっと感動して眺めている人もちらほらいた。到着後、森を冒険気分で駆け抜けた。蟻に噛まれたり、壊れそうな橋を渡ったりしてみんなウキウキしていた。カニを釣ったり、コウモリを見たりして、さらにウキウキした後、ついに植林をさせてもらうことになった。
30センチくらいの種というか芽を植えた。みんな楽しそうに誇らしげに真剣に一本一本植えた。僕たちが植えた範囲は狭かったからよかったけど広く植えるとなると大変だろうなと思った。やり遂げた後は楽しさとは違った満足感を得た。
お茶をがぶがぶ飲んだ昼食後、展望台に登って景色を眺めた。どこまでもマングローブが広がっていた。本当に気持ちのいい光景だった。ほとんどが植林して育ったものだが、とても自然な感じで存在していた。最後に観光用の無愛想なワニに魚をあげ、ちっちゃなサルにバナナをあげ、マングローブに別れを告げた。
見学中浅野さんは、いろいろと解説をしてくれた。マングローブのことはもちろん、ベトナムのことから小さな雑草のことまでよく知っていた。「この葉っぱは美味しいよ」「この実は下痢に聞くよ」と何度か教えてもらった。僕は枯葉剤の影響がまだあるのではないかと思い食べないようにしてたけど、「この辺のはもう枯葉剤の影響はないよ」と笑って話す浅野さんの笑顔にやられて、記念に食べておいた。
彼は自分がやりたいことをやっている感じで、楽しそうにしていたのが印象的だった。そんな彼がうらやましく思えた。
僕は帰りのバスで疲れて眠ってしまった。そんな車内で浅野さんはみんなに話をしてくれたらしい。バスを降りた後、友達から内容を聞いた僕は、遠くにいた浅野さんに向かって拍手をした。
浅野さんは大学時代に今の会社のリーダーが書いた「緑の冒険」(岩波新書)という本を読み、心打たれて一度大学を辞めその人の元へいった。しかし大学を出てから入るようにと言われ、もう一度他の大学へ入学し直し今の会社に入った。今後の活動は、ベトナム南部はほとんど植えられてきたので次は北部で植林をすることだ。浅野さんの給料は12万で、物価が安いベトナムでは十分過ぎるお金である。活動資金は日本企業からもらっているものがほとんどだそうだ。
そんな浅野さんの夢は、世界中にマングローブを植え、いつかそのマングローブが育った光景を見たいと語ってくれた。みんなは拍手した。僕は夢の中でその日みんなで植えたマングローブが育った姿を見ていた。
(担当:正田 剛章)
<エコツーリズム>
最近、マングローブ林の人的圧力の一つとして観光の問題がある。一例として、沖縄の西表島を取り上げる。西表島の仲間川や裏内川では、ボートによる周遊が、観光の目玉の一つになっている。石垣島を拠点に短時間のうちに西表島を見て回るもので、観光の増加により、高速・大型で馬力の強いボートが大きな波をけりたてて何度も疾走するようになってきた。そのため、土砂の堆積でできた川岸は容易に侵食され、その植えに生育していたオヒルギやヤエヤマヒルギは、根元を洗われて倒れたり枯れたりしている。洗い出された土砂はまた、移動して水路を浅くしたり、河口部に堆積し、大型ボートの走行の障害にもなったりしている。
観光産業は地元経済にとって大切であるが、自然景観がセールスポイントの観光がその自然を破壊しては、自分で自分の首をしめているようなものだ。観光客のために増えるゴミ問題など観光客の行動が地元の人々の生活の障害となっているが、一方で観光に生活を依拠している人たちもいる。こうした地元の人々の生活のバランスを考えた観光のあり方を早急に検討しなければならない。
もう一つ顕在化してきたものは、環境保全、ボランティア、国際協力、エコ・ツアーなど、関心が高まってきた事柄の運営のされ方である。その中で、マングローブ植林が格好の人寄せ材料として組み込まれてしまった感が一部にあるのは、なんとも複雑な気持ちだ。
ボランティア活動は資金が不足しがちなので、その解決策としてエコ・ツアーと称し、観光と植林を組み合わせる傾向が最近増加してきた。こうした動きが悪いと言うわけではないのだが、植えることばかりに目がいって、その後の維持・管理と言う地味な部分は、えてして顧みられない場合が多い。これらの植林は海外に限らず国内でも各地で行われているが、地元の人々は植林後の手入れは誰がするのかと心配している。森は、植林とその後の保育が一体となって、初めてもとの姿に返っていくことを忘れてはならず、植えっぱなしでは立派な森はできない。しかし、一番肝に銘じておきたいことは、エコ・ツアーなどで植林し、現場を見てもらうことは手段であって目的ではないということだ。そうした行為は、環境問題のほんの入口に立ったというだけで、本質はその奥に大部分が隠れているということを、参加する者もまた主催する側も忘れてはならない。私たちがはしゃぎながらマングローブの種を植えているとき、植え方がまずかったらしく現地の人があとから植え直していた。なんだか余計なことをしてしまい逆に仕事をつくらせてしまったように感じた。でもこれは決して余計なことではなく、楽しみながら活動する私たちを保護者のような気持ちで見ていたのだと思う。
迎え入れる側は楽しんでもらうのが一番うれしい。私たちがカンザー地区のマングローブを見に行き植林活動をわずかではあるがお手伝いしたこと、楽しみながらの経験を通して得たもの、それを日本に帰ってきてからの日々の暮らしの中で役立てることが目的となっていくのではないだろうか。
(担当:山崎恭子)
● ロンアン省農村訪問 ●
― 2001年3月3日 : 二瓶 真由美 ―
◎村の様子
1988年のドイモイ政権になってから生活よくなる
@電気が通る
A井戸から水道に変わる
B村全体で7台だったテレビが、ほぼ1家族に1台になる
C500家族で1つの学校 → 識字率ほぼ100% → 20%が大学へ進学
◎話をしてくださった合作社の方の意見
嬉しいことは発展したこと
(例)雨季のときでも米を乾燥させることのできる機械の導入→収穫量 2トンから14トンに増加 (なんと7倍!!)
[希望]
「農家の人々は、皆一生懸命に働いている。しかし、世界と比べると機械の普及率が低い。例えば、豚を飼っていても豚の肉の缶詰を作る機械がない。さらに発展をして、そのような機械が欲しい。
科学は日々発展しているから将来はきっと発展するだろう…。」と、合作者の方はおっしゃっていました。(こうなるといいのかもしれないが、私は、この背景には様々な問題が存在しておりその問題の解決なくしては本当の発展は臨めないと思うのだが…。)
日本から農業の専門家が来て指導してくれる。これには大変感謝している。
しかし ↓ 岡野内tercher
「指導者たちにだまされないように気をつけてほしい。また、機械化ばかりが良いことではない。機械化が進めば新たな問題も出てくる。例えば、日本では、農薬の問題がある。農薬は有害なため、そういうものを使わない農業をしてほしい。」
☆合作社の人は、日本の農業が完璧だと思っており、日本のような農業をしたいと思っているようだ。だから岡野内先生に、どのようにしたら今の日本のように発展するのかとたずねた。そこで先生は、「日本にも様々な問題がある」と、(上のようなことを)答えた。話をしてくださった合作社の方は、日本にも様々な問題があることを全く知らなかったらしい。だから、[日本に存在する農業に関する問題を知ることができて感謝している」とおっしゃっていた。
日本にもベトナムにも農業に関する問題はあり、今後、考えていかねばならないのだと思う。
◎合作社の方からお話を聞いた後の私の感想
この話の中で、私は、日本とベトナムはお互いのことを知らなすぎると思った。そのため、相手側の現状を知りもせずに、機械などを送り込んだり導入したりし、発展計画を推し進めるのは無意味なことなのではないかと思った。このことは、日本とベトナムに限らず、他の先進国と途上国にも当てはまると思う。
まず、このようなことを改善してからでないと、真の発展は望めないのではないだろうか。
● ベトナム南部ロンアンの農村で稲刈り! ●
― 2001年3月3日 ―
ロンアン省に到着。さっそく豚小屋を見学。だけどみんな豚小屋にながくとどまることはできなかった。なんてったってくさかった。豚よりも豚小屋の外にいた子犬のほうが人気が高かった。
さあ=稲刈りに出発だーとバスに乗りこもうとした。が、バスが動かない!!ベトナムならではのハプニング発生。たくましい岡野内ゼミの男たちがバスを後ろから押した。そんな姿を写真におさめた。でも結局バスは動かず歩いて行った。
稲刈り開始!タオルを首に巻いて、みんな気合をいれて働いた。短い時間だったけど暑いせいか、みんなへとへとになった。農村のおばあちゃん達はみんないいひとでみんなお気に入りのようだった。稲刈りが終わって、まず熱いお茶を飲んだ。このお茶は「ハス茶」。それから、昼食はナベだった。暑いときに熱いお茶、熱い鍋がベトナムではいいらしい。おいしかったけど、いいおじいちゃんがナベをよそってくれて、食べても食べてもなくならない、わんこそば状態だった〜。みんなロンアンでとれたお米や豚肉で作った家庭料理が食べられて満足そうだった。
<豚・鶏の飼育>
★1匹 ⇒ 30万ドン(約3,000円)
★土地は広くつくらない ⇒ 掃除や世話がいきとどかないと病気になってしまうため
★肥料は木や豚の糞を1ヶ月おいたもの
★1年に1,000匹生まれる豚は、豚肉として売るわけではない ⇒ ホーチミンの人たちが買った豚をまた育てる
★エサは政府が工場で作っているのでとくに決まりはない(合作社)
<米>
★1kg ⇒ 1万ドン(約1,000円)
★3毛作 ⇒ 4毛作にすると土地がつかれてしまうためうまくそだたない
★米の他に野菜やピーナッツをつくったりしている
★米は政府に頼まれてつくる。(合作社) あまったら自分でホーチミン市の人に売る
<合作社とは?>
★政府からエサなどの援助がもらえる
★村と村どうしが助け合ってつくる(2001年現在793家族)
★年収500万ドン(約5万円) 高収入者1,200万ドン
★米は省営会社に売る
★戦争中・北は戦争がないため合作社 ⇒ 合作社の代表者が税を払う(米)
南は戦争があるため合作社ではない ⇒ 1家族が稲を植えるため直接政府に税を払う(米)
★個人より合作者に入った方がエサや肥料がしっかりしているため、
良い豚に育ちの良いお米がとれるため村の人たちは進んで合作者にはいっている