● 私のベトナム体験記 ●
― 長部 愛 ―
目を閉じると鮮明に思い出される。子供たちの笑顔、広がる緑の人地、空の青さ、べト ナムに吹く風の匂い、カントーで見たタ日、ひっきりなしに通るオ―トバイの雑踏、みんなで歌ったべトナムの歌・・・。ひとつひとつが私の中に印象深く残っている。 当初、私は経費の問題などで、今回のべトナム研修旅行に行くかどうか最後まで迷って いた。だが結果として、参加したことは本当に良かったと思う。行く前までは、"べトナム"、というとべトナム戦争や最近人気のアジアブームによる話題くらいしか知らなかった。実際に行ってみて感じたのは、人々がとてもいきいきと主活していることである。特有の活気、なんともいえない心地よさがあるのだ。
滞在した何日間の間、いろいろな場所を訪れた。同じ国とはいえ、やはりその土地ごとに食べ物の味も微妙に異なるし、人の感じも違う。でもそれぞれの土地に良さがある。だから初めて訪れる場所へ行くたび、感じるものすべてがとても新鮮であったし、なんとも言えぬ親しみを感じながら過ごしていた。私はかつて日本以外のアジアの国に行ったことがなかったが、このなんとも言えぬ親しみは、自分たちととても似た顔つきをしているここからであろうか。
今後べトナムという国はどのようになっていくのだろう。ドイモイ政策により、経済は自由主義化し、現在速いペースで発展しつつある。都市が発展していく―方で、ストリートチルドレンの問題など、解決していかねぱならない間題もあるのではないか。今回、NGO班として"国境なき学生"という日本のNGOが関わっている施設へ見学に行った。彼ら(その施設で生活する子供たち)は何らかの事情でその施設で主活しているのだが、共同で主活し、教育を受ける機会がある。彼らと実際に会って、触れ合えたことは本当に良かったと思うが、それは間題のほんの―部を見たに過ぎない。自分自身に何ができるのか?とあらためて感じさせられたことでもあった。その答えはまだ見つからない。
べトナムに行って思ったことでびっくりしたのは、日本人観光客の多さである。ホ―チミン市では本当によく見かけた。昨今のアジアブームからか、雑貨などの買い物目当ての観光客が多い。それは自分も含めてだが、べトナムという国がどんな背景を持った国なのか、実際に来ている人でも知らない人は多いのではないだろうか。知らなくてはいけない、なんてことはないのだが、その国の情報を知っていたほうがより親しい気持ちになる。たった1回、買い物のため、なんていうのもあっていいとは思うのだが、なんかさびしい気もする。雑誌に取り上げられている、"かわいい"とか、"安い"ものを求めに来るだけ、というのは。どうなのだろう?
今回の旅で個人旅行とは一味違った旅ができたと思う。ゼミのみんなと―緒に旅をすることができて、本当に楽しかった。どうもありがとう!班ごとにミーティンヴをしたり、毎日同じものを見たり聞いたりして、それについて話したりすることができたのは本当に良かった。みんなで囲むお料理もとてもおいしかった。ダンさんやタムさんなど個性的なガイドさんにも出会えた。今思い出してみても、べトナムの人々の笑顔は温かい気持ちにさせてくれるものであったなぁ、と思う。(特にダンさん!)この先、べトナムという国がどのように発展していくのか、わからないけれど、今回感じたような人々の持つ"温かさ" は変わらないでいてほしい。帰ってきてから、"べトナム"が取り上げられている番組や雑 誌があると、妙に親近感を感じて見てしまう。遠くからだが、今後どんなふうになっていくのか注目していきたい。そしてまたいつか再び訪れたいと思う。そのときまで、このすてきななつかしい気分は胸の中に残しておきたい。
● カメラとバイクとホーチミン ●
― 風間 祐二 ―
<べトナムで写真を撮ること>
めでたく20歳を祝う式において、僕はxiao(シャオ)という2千円もしないであろうポ ラロイドカメラをもらった。何でも手軽に写せて、その場で写真を見ることができ、さらにはシールにもなるという優れ物なのだそうだ。べトナムへ出発する前の晩、何気なしに 僕ほそのxiaoを見て、ひらめいたようにバックパックの中に入れた。これでべトナムの人達を撮って、その場で写真をあげようと考えだからだ。これはなかなかの名案だそ!と―人でほくそ笑んだ。その場で撮られた写真を見れぱ、会話もはずみべトナムで現地の人との交流がうまく図れるかもしれないのだ。写真を撮ることが好きな僕は、べトナムに行くにあたってとにかく多くの「顔」を撮りたいと考えていた。そのための手段としてこのポラロイドカメラは役に立つ代物だった。もう―つ、今回の研修旅行で役に立ったものを あけるのならば、僕は間違いなく「べトナム語指さし会話帳」と言う。この会話帳を使ってコミコニケーションをとること、本当に力タコトではあるのだけど、べトナムで現地の人と話すことが僕をべトナムの街に溶け込ませていくようでとても心地よかった。テトというべトナムの正月を終えたぱかりの2月の街で、僕はハーフパンツにピーチサンダル姿。ホ―チミンの独特な"ムッ!"とした空気のなかフォ―を食べていると、僕はここの学生なのではないか、という錯覚まで覚えてしまう程だった。
<旅先での五感>
旅に出ると、自分の五感がフルに働いていることがよくわかる気がする。べトナム語を必死に聞き取ろうとする事や、街を隅から隅まで見て歩いたりすること、初めて目にしたものを食べたり、飲んだりすることも・・・そこには自分の知らなかったことがたくさんある。昼間にそういうことをたくさん吸収して、夜になってから、ゼミ生他、た―くん、 ガイドの鈴木さんたちとシェアができたことは本当に良い時間だった。べトナムという国をいろいろな角度から知ることができた。そういう「体験」に墓づいている知識は決して忘れないものだ。そしてまた、旅先での苦い経験も―つの自分への教訓となる。ヴィンモックトンネルにて、僕は物乞いに執拗に迫られ、コーラを―本買った。この、言ってみれぱ些細なことが、日本に帰ってきてからも「本当に豊かになるとはどういうことなのだろう」ということを考えさせるきっかけになっている。「発展途上国に対しての援助を充実させよう。」などと、同も見ずして言っていた自分が恥ずかしくもなった。途上国政府の政治・政策の話の前に僕達は現実を見なけれぱならないのだと思った。これが研修旅行で あり、岡野内ゼミがやろうとしている体験する学問なのだ、などと、自分でこのゼミにいる理由を自間自答していた。それは正に自分の五感がフル活動している瞬間でもあった。
<「彼ら」の時代>
べトナム帰国後、しぱらくして、大学での写真展に向けて作品制作にかかり、今回の研修旅行を凝縮した写真集を作った。それは、べトナムでの生活の喜怒哀楽をすべて含めたものとなった。べトナムにはあの四半世紀前の戦争を経験した「彼ら」や、戦争を知らず、来来に大人となる「彼ら」もいて、僕らは「今」という時代を生きている。それぞれ の時代には表情があるのだと思う。しかし、べトナム戦争後からはその表情は明るく、喜びに満ちていることを自分の目で確かめることができた。僕が見たのは、動いている街、発展しつづけるベトナムだった。戦後25年で急激に進化するベトナムは活気にあふれ、戦争を忘れるかのよう仁動きつづけている。しかし現代日本のように、街の表情をなくすような発展はとても哀しいのではないか。発展の裏には哀しさがあるのは当然だと思う。様々な表情を持った街、ベトナムはこの喜怒哀楽を忘れずにいてほしい。僕は、「彼ら」の時代が、そういう街をつくり上げることを願って止まない。