● GOGO!!ベトナーム ●
― 河村 妙子 ―
"何かおもしろそうだなぁ。"ただ、それだけで決めたべトナム行き。よくよく考えたら、知っている人もほとんどいないし、海外初めてだし・・・。正直、ほんとに旅行できるのか?と不安だらけの出発でした。でも、出発してしまえば、そんな不安もどこへやら。毎日、色々な所を見学し、様々な人々に出会い、驚いたり、感動したり、考えさせられたり。とにかく楽しくって!今までの人生の中で、あんなに実のある日々は初めて。と言っても過言ではないくらい盛りだくさんの12日聞でした。その中でも特に印象に残ったものをいくつか挙げてみたいと思います。
・バイク
べトナムに着いた次の日の朝、窓の外を見てビックリ!なんだこのバイクの多さは〜! 最初は道を渡るのも命がけ。何回轢かれそうになったことでしょう。信号はあってもないようなものだし、クラクションはうるさいし、月光仮面みたいな格好の人はいっぱいだし。カルチャーショックでした。でも、あれこそがべトナム。
・クチのトンネル
絶対に人の生活する所じゃない!身を持って戦争の狂気を体感し、1番ショックを受けた場所です。超暗くて、狭くて、暑くて。想像を絶する、その―言しかありませんでした。 あそこまでして戦わなくてはならない、人間を追い詰めなくてはならない戦争って何なのだろうと真剣に考えさせられました。
・メコン川クルーズ
空高い太陽の下、クルーズは最高に気持ち良かった〜!赤茶色の川の色にまず驚き、舟の往来の激しさに驚き、洗濯していたり、泳いでいたりして・・・。すべての源であることを実感。そして、昼食で食べた象耳魚や果樹園のおじさんも忘れられません。
・香草
べトナム料理と言ったらまずこれしかないです。最初はちょっと・・・と思いましたが 慣れてくれば全然平気で、どんなメニュ―もおいしくいただけました!特にフォ―。もう1回食べたいなぁ。結局、1度もおなかを壊さなかったのって私だけだったのかな(笑)。
・アオザイ
ホ―チミン大学のみなさんの協力で自分のアオザイを作ることができたのは、感動ものでした!アオザイを着て、バイクに乗せてもらい、気分は完璧べトナム人。みんなで飲んだべトナムコーヒー、おいしかったなぁ。異国での人の優しさを肌で感じました。
・ダンさん
見事な日本語で各地を案内してくれて、ずっとすごいなぁ。と思っていました。色々な話を聞けたのは、とても興味深くて楽しかった!そしてやっぱり、あの笑顔。今でもすごく印象的です。
と、色々、挙げたらきりがなくなってしまうけれど、どれもこれも絶対に忘れられない貴重な体験になりました。
べトナム、特にホ―チミンは何か勢いがあったように思います。自販機もコンビ二もないけれど、街自体から人々の触れ合いから、生きるエネルギーみたいなものが溢れ出ていて、帰国した時、東京という街がとても無機質・機械的であじけなく思えました。初めて日本という国を外から見ることができ、自分が今まで持っていた考えや価値観は確実に変化したと思います。今まで持っていたモノの見方は偏っていて、すごくちっぽけなものだったのだ。と痛感しました。
12日間、ほんとに楽しく旅ができたのはまわりのみんなのおかけです。旅が終わる頃は、私も最初から岡野内ゼミの―員か?と錯覚してしまうくらいでした。見ず知らずの私をあたたかく受け入れてくれて、本当にありがとう!!!感謝しています。いろいろなところでみんなに声をかけてもらって、きっと気を使わせた部分もあったと思います。お世話になりました。この旅で経験したこと、みんなと知り合えたことは私にとって大切な財産です。また、何かイベントなど、声をかけて下さい!そして、これからもよろしく!!!
● VND.R.B ベトナム旅行+個人旅行の感想 ●
― 木村 洋 ―
おれは今回ゼミで行ったべトナムの他に、無理を聞いてもらってタイとカンボジアにも回れるようにしてもらいました。そこで知ったことなどもあるので、それを書こうかと。べトナムのことは皆がたくさん書いてくれるだろうから。体で感じてきたことを皆にも伝えたいのであります。特に交通関係での違いに興味を持ったので、三国を比較しながら書いていきます。タケの二ュージー時代からの友達でタイ人のTongの話なども参考にしながら、いろいろ書いていきたいと思います。
ちなみに題はそれそれの国の通賃、べトナムドン、力ンボジアリエル、タイバーツを自分の中でごろよく並べてみました。
「三国(+日本)における道路状況の比較」
1.タイ
とても近代的な国で、道路はとてもきれいに整備されている。どこまでがきれいな道で あるかというと、おれが見たことがあるのはカンボジアとの国境の町で、他の国境がどうなっているかはわからないが、そこまではとてもきれいに舖装されていた。
バンコクにおいては、何車線もある大きな道路が多く、車線―つ―つの幅も広いところが多く、かなりスピードを出して走っている。日本の道路のようにつきはぎがたくさんあったりはしなくて、マンホ―ルなどの突起が道の表面にあることもあまりない。だから、車に乗っていてガタカタすることがあまりないし、運転をよくする自分にとってはとてもすばらしいと感じた。日本の道路は無駄にほじくりかえしているからでこぼこなのはわかっていたけど、比較できる対象があるとあらためて実感できるものですね。税金を無駄に浪費して、何も役に立ってね―じゃん。
大きい道路はそんなんなのですが、住宅街に入っていくと、ある程度の間隔で車止めというかなんというか、コンクリートでちょっとした出っ張りが出ているところが多い。なんなのかTongには聞かなかったけど、自分では防犯対策なのかなと。あれがあれぱ、家に泥棒に入られたとしても車は猛スピードで逃けていけないわけだし。
また、車線変更の際はちょっとのスペースがあればガンガン入っていくという感じで、皆積極的というか攻撃的というか、そういう風におれは感じだ。パスもかなり攻撃的な運 転で、「こええ」と思うことが多々あった。Tongも凄く狭いスペースでもガンガン入っていくし、スピードもかなり出していた。かなり酔ってしまっていても平気で運転していたし、国の違いというか、文化の違いというか、そんなんを感じた。
割合大きな道路が多いからかもしれないが、普通に右折できないところも結構多く、U ターンをしてから左折して目的の方向に向かわなければいけない揚合も多くあった。
2.カンボジア
この国は、道路の状況も治安の状況もすごく変わりやすいとおれは感じています。おれは二回この国に行ったことがあるわけですが、ちょうど雨季と乾季のときを両方経験したようで、季節によってけっこう変わるのです、この国は。一回目に行った時は雨季でした。タイの国境を通過して前を見てみたら、あまりの道路状況の変化にびっくり仰天。「えっ、これってありなの?」っていう感じ。
タイ側の国境まではしっかり舖装されていたのに、―歩足を踏み入れた瞬間にがらりと変わってしまって。舖装されているわけもなく、赤土むき出し。スコールの影響で、土が 流されたりでっかい水溜りができたりしていて、超ボコボコ。超グチャグチャ。赤土の粘土に足をとられて車もゆっくりしか進めないし、ボコボコのグチャグチャだから車線なんてなくて、通れるところが道というか、いろんなものが入り乱れている状況で。ロバとかも通ったりしていて。目の前に広がる光景はにわかに信じがたく、何でこんなにも違うのかと、しぼらくだだただ絶句。隣の国でもこんなにも違うものかとカルチャーショックを 受けたものです。
アンコールワットのあるシェムリアップという町と首都のフノンぺンは、割と舖装されていて整然とした道路という感がありますが、俺が見た他のところは国境近くの道路と似たり寄ったりです。
乾季は土もしっかり残っていて、上から石を砕いたものをまいて固めてあるので、がたがたはするけどわりと通りやすくはなっているという感じです。この上からアスファルトで固めてあるところもあるのですが、場所によって状態がさまざまです。なんか道路の作り方が使い捨てっぽいというか、簡単すぎるというか。簡単に土ならして、石ならして、上から固めてはい終わり、はげたらはげたでほっとくみたいな。道路にそんなには金を使 えないって事なのだろうけど、こんなんじゃいつになってもすぐはげてぼこぼこしてしま うなと。そんなわけで、すごく状況の変わりやすい国だと思うわけです。
3.べトナム
べトナム旅行の時は、皆と―緒だっだから道路とかどうでもよくて、あまり見ていなかったから記憶があいまいです。でも、ガタガタいった記憶はそんなにないし、タイに比べたらかなり劣るとは思いますが、割といい道路であっだように感じました。
道路についてはこれ以上思い出せることもないので、これで終わり。
「三国における主な乗り物の比較」
1.タイ
車ですね、けっこう金持ちは日本でいってもそれなりだったりするし。バンコクなんかは世界で見ても大都会ですから、かなりいっぱいあります。でも、国産車らしい車はほとんど見かけなかった。実際ほぼ輸入車らしい。日本車もかなりいっぱい走っています。日本車がいちばん多いかな。Tongの家の車はホンダのCIVICでした。べンツやBMWも多く走っています。Tongの話では、車はタイに入るときに関税がかかるそうなので、日本より高いらしい。
また、タイではべンツ信仰が強いというのをどこかで聞いたことがあるのですが、その影響なのか、たまに市民が使う乗合バスに無理やりべンツのマークをくっつけて走ってい るものがあります。
タクシーも多い。タクシーの―種で、三輪バイクであるトュクトュクもよく走っている。
2.カンボジア
乗り物の量が基本的に他の二国より少ない気はします。車は高いのでバイクが多く、タクシーも近くに行くならバイクタクシー。遠くまで行かないといけないときは、ピックアップトラックというのにぎゅうぎゅうに詰め込まれていきます。ISUZUなどに多い、荷台つきの乗用車という感じの車です。
自転車は三国で―番多い。経済的に―番弱いからだろうが、ロバとか馬車とかも遭遇した。
3.べトナム
べトナムといえばパイク。ホンダのバイク。はじめてあの大群が押し寄せてきたときは、道路を渡れなくて「まじかよ」と思ったものです。庶民の足は基本的にバイク。それと自転車。車では、タクシーなんかはわりと走っていましたね。
ホ―チミン大学に行ったとき言っていたのですが、べトナムでもやはり関税で高くなるらしく、バイクを買うのも相当大変なようです。
ほかには自転車タクシーといった感じのシクロもたくさんあったよね。
「その他気になったこと」
タイでの駐車の仕方
文化差を感じます。白線を引いてあるところに駐車させて日本は終わりだが、その回りや車が止まっている前にも止めさせる。当然先に止まっていた車がそのままでは出られない。どうするかというと、邪魔な車を手で押して、動かしてから出て行くのだ。だから、駐車しても動かせるようにサイドブレーキは引かないようにするのがルールなようである。
以上
● アオザイとタイガービールと私 ●
― 熊谷 真也 ―
ゼミ研修旅行がべトナムに決定したと聞いたとき、3年生の2月という就職活動スタートという大事な時期だとわかっているにもかかわらず、絶対に参加しようと決意した。自分にとって3回目の研修旅行だったけど、前の2回でべトナムが両方とも候補にあがっていたのに落選して、しかも自分はそれを希望していたからべトナムへのこだわりがみんな以上にあった。同学年の人が就職活動している中で自分―人参加したのだけど、この春休み中ずっと就臓のこと考えるより、それを忘れてリフレッシュできるような日も作ってメリハリのある生活をしたかったから旅行は絶好のいい機会だった。それに、みんな第三世界のことに興味があって集まった人達が参加したということで、学年の差は関係なく、どこか同じ気持ちがあったから気軽に行動できたし、―緒にいてほんと楽しかった。そしてミーティングなどでは―人―人がさまざまな意見をだしたり、またそれを聞くことによって、お互いのこととか理解できてみんな仲良くなれたことがとてもうれしかった。今まで狭かった自分の視野をいろんな人の意見を聞くことで広げることができた気がする。
またゼミで旅行してきて、こうやって開発の現状を実際に現地で自分の目で見て考えたり、時には体験しながら学ぶことがいいものだなと改めて感じた。べトナム戦争については、事前に学習したこと以上に現地での戦争の跡や写真などを昆ることでその壮絶さがリアルに伝わったし、農作業や植林活動などは実際に体検してみることでその大変さがわかったりと本当に充実した日々を過ごすことができた。子供達とサッカ―してケガしたことなんか今考えるとほんと貴重な体験ですよ。今就職活動で、学生時代に打ちこんだことなどを聞かれるけれども、このゼミの活動で旅行して得たことなどは胸を張って言うことができるし、主張していきたい。本当にこのような機会が与えられて感謝感激です。あ―、 なんかフォ―の味と香草たちが恋しくなってきた。
● ベトナムの不思議 ●
― 小金谷 孝子 ―
この旅行中に私が感じた様々な違和感(力ルチャーショック?)を、日本とべトナムどちらがおかしいのか??と考えつつ思い出してみた。
<べトナムの街並みは派手でにぎやか>
まず、べトナムに着いて初めて日本と違うと思ったのがホ―チミンの街並みのかわいらしさだ。道沿いにきっしり並ぶ小さなお店はパステルカラーの壁に派手な看板と、とってもにぎやか。その上バイクがぶんぷん走り回り、まさに成長の真っ最中という印象を受けた。 成田に着いた時、またあの無機質な街並みに帰って来たのかとちょっと悲しくなった。
<どこに座るの?>
―番つらかったのがトイレ。―応洋式だったりするけど、便座が汚い!もしくは無い!いったい現地の人はどこに座ってしているのだろう?座らないのかな?きっと、観光地ではなく―般の家庭とかはもっとすごいのだろう。日本人が綺麗好きなのが身に染みてわかった。
<物売りの子ども達>
この旅行中何箇所かで現地の子ども達と触れ合う機会があった。中でもヴィンモック地下トンネルで出会った物売りの少年達は、人なつっこく英語で名前を聞いてきて、純粋に外国人に興味を持っているのかと思いきや、学校に行っていないと言いジュースを買わせようとする。買わないようなら何かちょうだいと手を差し出す。私は結局アメをあげたが、後にはものすごい違和感が残った。計画された子ども達の売りこみに、のってしまった私のような外国人がいるから、親は子どもに物売りをさせる。でも、売らなけれぱ生きていけないのも現実。果たして買うのは良いことなのか悪いことなのか?そして、私はこの旅中べトナムの子のかわいさに落ちて、普通の子はもちろん、物売りであろうとたくさん話しをしようとした。また、買う買わないのやり取りも楽しかった。しかし、結局子どもからしてみれば私達はたんなる客にすぎないのかもしれない。物売りの子と交渉することは純粋な人間の触れ合いとは言えないのだろうか。どちらにしても、あの子達が親になった時、自分の子どもに物売りをさせなくても生きていけるべトナムになっていればいいなぁと思う。
<クメール寺の電飾>
私がべトナムで最も違和感を感じたのがこれ。クメール寺の仏像の後光に電飾が使われていたことだ。タイに行った時、いろいろな寺を見で、全部黄金!とか本当に派手たったけどさすがに電飾は便われていなかった。ある意味最先端の奉り方だけど、質素で佗び寂びを好む日本人にとってはちょっと変な感じ。
<心を打つ風景>
私はべトナムでとても綺麗な風景を見た。しかし綺麗と感じる場所も、べトナム戦争中は激戦地であったり、今もその影響を残していたりする。実は人の手で植えられたマングロ―ブ、戦時中北の人が必死で渡った川にかかる橋、桔葉剤のせいで木がまだ生えず、―見おいしそうなのにさもすれぱ有害な空気の山。見過ごしてしまえばそれまでだが、よく見ると?と思う戦争の爪跡が残っているのだ。しかし、のどかな風景に違和感を与えるそんなところこそ、実は忘れてはならない教訓を示しているのかもしれない。
<国境なき学生>
私は急きょ私と同年代の学生によるNGOの活動に参加させてもらえることができた。その内容はストリートチルドレンだった子ども達と遊ぷということだった。本当に急に行けることになり、時間も短かったためわけがわからないまま終わってしまったという感じだった。その時私が思ったのは、今ー緒に遊んでるこの子達はこんな短時間、無責任に訪れた私なんかと遊んで嬉しいのか?彼等のためになることをしてるのか?ということだ。見知らぬ外国人が突然現れて、生活に入りこんできて、仲良くなってきたところですぐ帰ってしまう。それにストレスのようなものを感じだりしないんだろうか?私は違和感というかどこか納得いかない気持ちを抱いた。しかし、私が彼等とサッカ―をしたとき、共に楽しいと感じていたのは事実だし、私自身彼等との出会いによっていろいろなことを考え、とても意味のある経験をしたことは確かだ。私はいろんな人に出会い、その人に影響され ることによって人生が素敵なものになっていくと考える。そう考えると私が彼等と遊んだことは、(少なくとも私にとっては)良いことだったのだと思えるようになった。NGO活動とはそれに参加する―人―人の良いことをしたいという欲求から始まるものだと思う。例え結果が目には見えなくても、その欲求により行動して、自分にも人にも良い(楽しい?) 経験を与えることができたなら、それは素晴らしいことなのではないのだろうか。
実際に現地へ行って私が肌で感じた違和感が、新たに大小様々な疑間を呼んだ。それをみんなで話し合うことの楽しさをこの旅行で知った気がする。顔の違い、食べ物の違い、温帯と熱帯という気候の違い、先進国と発展途上国の違い、経験してきた歴史の違い、私達とべトナムとの間にはたくさんの違いがあるけれど、向こうの大学生や、ディスコに連れて行ってくれた子、本屋で出会いいろいろ教えてくれた少年のように私達はすぐに仲良くなれる。全然違うけど、全然違うからこそ楽しいのだ。
<最後にひとこと感想集>
ずっと体調悪くて本当はすごく辛かった。→ダンさんはお金持ちでしょう。→実はディスコが―番楽しかった。→みんな頭いいなぁ。→戦争証跡博物館は全員で行くべきだっだと思う。→英語勉強しよ・・・。→どっちがいいのかな?→ナスは冷凍じゃない方がおいしい。 →女の子と赤ちゃんを道で寝かせちゃ絶対いけない。→「フエは〜」→お疲れ様でした。
● ベートナーム ホーチミンにゃむんニャムン ●
― 相良 武紀 ―
べトナム研修旅行、正直あっという間でした。毎日、毎日朝早い日も、普通の日も時間 ギリギリに出発してみたいな、―日、―日を120%で過ごせたかなって、今思えばおもいます。別に頑張ってたとかそうゆうのじゃなくて、自然と今となって、やってきた事を思うと、何気なく過ごしてた、何気なく経験した事など、いろんな意味で濃い10日間でした。
楽しくみんなが見たいって思うようにって言われても、、、っというわけでーーー!
<私の選ぶ、研修旅行べストーーーーーー3!!!>
3位は― NIGHT CLUB探して3千里
やはり、最終日という事で皆の疲れもピークに達していた事でしょう、しかし、最後!をテーマに、皆ドンの両替などでお金もあ まり持っていなかっただろ―に、ダックにビールにカクテルに蛙になどと豪遊。みんなで割っても結構いった。たけこの時点で所 持金なくなる。その後、先生も―緒に旅行に来てた人々全員で夜 のホーチミン市をうねり歩く。レオのガイドで行くも、さんざん歩いた末に結局、目的のクラプより手前にあったクラプで妥協、しかし入場料高くて、All the way back Pastel Hotel again...途中道端で寝ている女の子に、いろいろ考えさせられる。ストリート チルドレンと言われる子供達である。その後、ギブアップの人はホテルへ、今度はトヨ&Tのかすかな記憶を頼りに、また、違う方向へ歩き始める。すでに朝の1時位?? すこしあるいて、ふとトヨを見るとあれれのれって感じの表情、Nooooooo! しかし、偵察に行っていたTからあったとの連絡が! Yes!なんでそこまでして、Disco行きたかったか分からないけど、みんなの普段とは違った―面が、見れておもしらかった―! 先生といってみたかったけど,,,
2位は― クチトンネル!
本物の罠や、銃、また実際に当初使われてた大きさのトンネルに入る穴を見たときはその小ささに驚いた。その中に入った先生を見てもっと驚いたけど。映画とかではいろいろ見たりして、変な知識はあるんだけど、やはり目の前で本物を見たときは、自分の甘さにきずいた。いろいろな穴や戦車など見ていく間にフェイクの地雷が仕掛けてあって、だいたい3回位普通にひっかかってしまった。トンネルの中に入り、観光客用に大きくしてあるとは言えど、そこで初めて自分が閉所恐怖症だということにきずかせられた。いち早く出ようと前へ急ぐのだが、前がつっかえてたりすると、もういっぱいいっぱいだった。後ろから聞こえてくるみんなの笑い声が、なんとも心強かった。
1位は―子供達。
今回の旅で、私は数多くの子供達と接する機会に恵まれた。NGOで少年の家にいた子供達や、少数民族を訪れた時にいた子供達、最激戦地ケサンであった子供達、べンハイ川 ビィンモック地下トンネルに行った時にあった子供達などである。今思うと、生活環境が違うだけで、こうも子供連って言うのは変わってくるものなんだと、とても衝撃を受けた。NGOで会った子供達は、いろいろな理由から帰るところがないという子供達であるが、―人 ―人すごく甘えん坊のようにみえても、根はしっかりしているというか、―人―人に強さを感じた。やはり、頼るものなく生きて来た自信というか、強さというか。いざとなったら僕等より強いんじゃないかと思わせられる位だった。少数民族の所にいた子供達は警戒心が強く、おいでの素振りをしても全然ちかずいてこないし最後バスからバイバイと手を振っても―人としてふらなかった所に、バイバイと言い手を横に振る習慣がまったくないのかなと疑問をもった。ケサンであった子供達は、最激戦地という事で観光客も多いと思うのですが、子供に限らず、大人までも近寄ってきて、写真など快く撮られているのを見て、こっちがなんでなんだろーて思うくらいだった。普通に考えて、自分の住む地に観光客が毎日のように訪れては写真撮ろうだの、言ってきて、あの笑顔でいれる物なのかと。でも、子供達の笑顔を見ていると、スバラシー! 帰り際にズット追いかけてくる子とか、涙物でした! 最後はビィンモックの地下トンネルにいた子供達だがこの子達ほ英語がとても上手だった。普通に日本の大学生並には話せてると思うトンネルにきた人たちにコーラや水の販売をしているのだが、初めについたときに名前を聞いてくるのです。コッチも なんか可愛いやつらだな―つて、いいな―っておもっていたら、それは後でトンネルを出たときに、相手の名前を知ってる事でお客さんが品物を買ってくれる可能性が増えるからだと彼らは思っているからだ。彼らは地元の人間ではなくほかの場所からはるばるこの仕事をしに来ているそうだ。まだ子供達だから、お金が欲しいって言う気持ちだけでこの仕事をやっているのだと思うが、なんとも惨めに思えた。
まだまだ、この3つ以外にも最後の日のFeeeな時間を使って、鈴木さんが連れて行ってくれた戦争博物館や、畑仕事の手伝い、フエは―のガイドさん、マングロ―ブの見学、べトナムの大学生との交流会、どれにもいろいろなエピソードがあってとても楽しくいろいろと学ぶ事が出来たと思う。今回私はヴェトナムだけでなく、タイとカンボジアに行く機 会に恵まれていろいろなまた違った世界をみてきたが、何処の世界のどんなに山奥であろうと、川辺であろうと、どんな所にも人々の生活があり、その少しを見れたことでなんと言うか世界の広さを感じた。また、戦争の卑劣さ、恐ろしさ、汚さ、この年になって初めて、自分の中にしっかりとうけいれられたかなと思う。いろいろな戦争跡地にいき、自分 の目でそのものものを見れたことで、実感する事が出来た事は、とても大きかったと思う。
また、このように個人旅行ではなく、団体で行く旅のおもしろさを実感することができたし、今回の10日間をふくめ、カンボジア、タイでもいろいろな人々と出会い、またその人それぞれの考えを知る事が出来た事は、自分にとってはこれよりないことだあったと思う。また、機会があれば是非参加したいです。
Keep golling Baby!!