● ベトナム感想 ●
― 鈴木 忍 ―
今回のべトナム研修は、ありきたりな言葉になってしまうが、驚きと発見の毎日といったかんじで、私にとっていろいろと自分自身を見直す良い機会となった。特に自分と同年代の人々の考え方や生き方には、心動かされるものがあった。皆、将来を考え、前を向いて進んでいて、自分がこれからどうありたいか、という目標をきちんと抱えて主きていることに、ひどく感心した。私にはまだ将来に対する目標も何もなく、毎日をただ漠然と生きている。不安だけを並べ何も始めないままでいる自分が、とても恥ずかしく思えた。例えば、同じように語学を習っても、それに対する思いが違うと、こうも成果が違ってくるのかと驚いた。20年生きて日本 語と英語少々の私と、べトナム語に英語、日本語の彼ら。自分の生活に今後密着するものとして、語学の確かな必要性を感じ自ら勉強する。その取組む姿勢も半端ではない。彼らのその姿 勢には、見習うぺきところが沢山あった。彼らに出会い、こうなりたいと思う自分像が微かにだが浮かんできた気がする。
また、べトナムでは「人との出会い」の他、「歴史との出会い」も感じだ。歴史とともに歩んできたべトナムの人々に出会い、触れ、過去の資料を実際に見ることで、戦争というものを今まで以上にリアルに感じた。メコン川の果樹園で聞いた「観光客の多くは主にヨーロッパ系か日本人で、アメリ力人はほとんど来ない。」という現地ガイドさんの話と、戦争証跡博物館での主々しい写真の数々が、印象に残って頭に焼き付いている。クチトンネルでの説明ビデオをはじめとして、べトナム人が語る戦争の話からは、いかに彼らがアメリ力を敵視しているかが読み取れる。そして、その感情は今もなお残っているようにさえ感じる。恨みなどといったマイナス感情が受け継がれるのは、悲しく、とてもつらい。しかしべトナム戦争関連の写真は本当に悲惨だ。あまりに残酷で、これが本当に人間による行いなのかと疑うほどであった。私は、戦争の当事者であるアメリ力人には事実を受け止める義務がある、と考える。その思いはこういった戦争関連のものに触れることにより、より―層強まった。べトナム戦争が残したものは結局何だっだのか、アメリ力人は当事者として見直す必要があるのではないだろうか。誰は悪いとか、責任はどうだとかいう間題は抜きにして、まずはただ現実だけを見、そして受け止めて欲しいと願う。国としてではなく―人の「人間」として、互いのことを思い、配慮し合うことが、両国の関係の上で今―番大切なことなのではないだろうか。今後、互いに認め占い歩み寄ることが求められる。過去の歴史を全て忘れ、その上でべトナムとアメリカ両国の関係を築くのでは意味がない。ニセモノではないホンモノの両国の関係を築き上けていくために、人々は戦争という忌々しい過去も含め、そういった全ての歴史を受け止め、乗り越える以要がある。これからの未来を担っていく人々には、過去の悲劇を繰り返さないためにも、現在ある状態から過去を見つめなおし、受け止め、そして学ぶことが要求される。戦争からは何も生まれないという意識が、全ての人に広がることを願わずにはいられなかった。
今後も戦争の傷痕は残り、その回復作業は続くだろう。しかしこの大きな問題を抱えながらも強く活気に満ちて生きてきた人々のように、これからも笑顔を絶やすことなく、強く生きて欲しいと願う。
● ベトナムへ行って ●
― 田上 光子 ―
2月22日、17時50分成田発の飛行機に乗り、それから約5時間後、ホ―チミン市に着いた。そこで私達を迎えてくれたのは、夏祭りの夜を思わせる暑く湿った空気と、いつまでもやむことのないようなバイクの洪水と街の喧騒だった。明らかに日本と違う雰囲気に興奮するのと同時に今回が初めての海外旅行であった私にとって、一週間以上もここで生活できるのかどうか不安に思ったことを思い出す。
べトナムでの日々は日本での私の生活からは想像できないほどハードなものだった。その内容もメコンデルタクルージンクやクチ、ヴィンモック地下トンネル見学、 ホ―チミン総合大学日本語学科の学生達との交流、カンジョー地区でのマングロ―ブ植林など様々であった。その中でも印象的だったのが、マングロ―ブの植林である。バスとフェリーを使って郊外のカンジョー地区へ向かったのであるが、そこは何も聞かされなければ、豊かな水と緑に囲まれたごく普通のマングロ―ブの森と思ってしまうほど静かで立派なものであった。しかし、視界に入る全てのマングロ―ブ林は植林であるという話を聞き、マングロ―ブ林に目をやると、木々の高さが均―であることに気がつく。
私達も沼地に入り、実際に苗を植えることになったのであるが正しい植え方も知らず、めちゃくちゃに植えてしまう。ほぼ苗木も植え終わるというときになって、現地の方が見かねてその苗木たちを値えなおす。初体験ということで浮かれてしまい、本来の目的を忘れていたことを反省しつつ、私達ももう―度苗木たちを植えなおす。そんな作業を繰り返しながら、この森を再び造るまでにかかったべトナム人の苦労と時間そしてその苦労の原因である枯葉剤の影響の大きさを感じることができたように思う。
そして、もうひとつ印象に残っていることは、タ方からの自由行動である。現地の人たちと触れ合うチャンスだと、毎晩色々なところへ行ってみたのであるが、ホテルの従業員を装って私達からお金を盗もうとする人に騙されかけたり、あるバーで働く男性と仲良くなり、ディスコに連れて行ってもらったり、小さな屋台で現地の人を観察したりなど様々であった。そして、ホ―チミン市最後の夜、みんなで街中を歩いていたとき見かけた路上生活者の多さが忘れられない。小さな子供を抱えた母親や私より年の小さな少女、帰る家はなくとも、ヤマハのバイクの上でうずくまり、寝ている男性。 同じべトナム人でも高価なバクダンアイスを良べ、ディスコに集まる人たち、そしてその道の途中で寝ている彼ら。そして彼らを眺め、驚きながらもディスコへ向かう私達。 ぺトナムでの生活格差を目の当たりにし、何か解決策はないのかとあせる反面、何もできない自分に苛立ちを感じた。
べトナムへ行っていつも、切に感じていたことは、(今回が初めての海外旅行ということもあるが)自分は日本人であるということだ。現地の人が私の横を通れば『今日は』『味の素』などと冗談半分に言いながら過きていく人もいた。今までの自分の生活から離れて、違う言語、違う文化、違う歴史、それらに触れてみて初めて自分の置かれている立場を認識できたように思う。海外旅行に行くと自分の価値観が変わるとよく言うが、私は半信半疑であったし、今回のべトナム旅行に関しても、友人にどうしてべトナムへ?と聞かれてもきちんと答えられずにいた。しかし、土産話の多さと私の感 じたこと―つ―つそして、ヤモリに対して免疫力がついたことで、べトナムへ行ってよかったということははっきり言える。
● ベトナム ●
― 滝川 浩充 ―
2月22日〜3月5日のべトナムの旅は、滝川浩充にとって初めての海外でありました。ホ―チミンに着いた時、日本と全然違う匂いがしてウキウキしました。初海外でチョイとピピってたけど、とりあえずウキウキしときました。
滝川浩充の旅の中で最もウキウキしてた時間は、何といってもべトナムのちびっこ達とたわむれてる時間ですな。あれは本当にたまらなかったね。最初はまったく近づいてきてくれなかったけど、とりあすアグレッシブに攻めて、ちびっこの心をわしづかみにした時の達成感は今までに体験したことないですね。"BEST OF ちびっこ In VIETNAM " は、ケサンで仲良くなった青いウィンドブレーカーを着たバッチ君に決定!!何人かはわかると思うけどバスの後を5〜7分走って追いかけてきたあのちびっこです。あの子は滝川 浩充の心を逆にわしづかみにした唯―のちびっこですね。あの子は今もちゃんとバッチを 腕に付けていてくれてるのだろうか、なんであの時バスを止めてもらって抱しめに行かなかったんだろう、と今もなお色々あのちびっこのことを考えてます。―番楽しく、心がウキウキしたちびっこであり、―番辛く、残酷な別れ方をしたちびっこだった。忘れらんないですね。名前は知らないけどね。
NGOで『国境無き学生』を訪れた時も結構ウキウキしましたね。筋トレして、サッカー して、チュックちゃんに「おかま!おかま!」と言われて逃げられ、滞在時間は1時間くら いだったけどすごく濃い1時間でしたよ。
大人びた人を相手にするのほ滝川浩充は苦手らしく、ホ―チミン総合大学を訪問した時は、あんまり全神経を集中させることはできなかった。遅刻もしたし。ホ―チミン総合大学担当なんで調べてみたけど資料が無く、インターネットで調べてもダメでした。とりあえず、ホ―チミン大学の生徒はみんな勤勉家だった。滝川浩充が相手した子は、朝6時に起きて9時から19時までずっと大学で勉強してる4年生でした。その子の友達がSONYのどこかにいるらしく、CDや本を渡してくれいと頼まれたが、SONYのどこにいるのかわからない為、やむなく断念。力不足で済まなかった。
最後に、『八ちゃん堂』副社長、マングロ―ブ浅野さんが言ってたけど、二人とも自分の仕事を楽しんでいた。確かそんなようなことを言っていたはず。滝川浩充はべトナムに行くまで自分がやりたい事ってのが無かったから、それを聞いてうらやましかったね。けど、べトナムのたくさんのちびっことたわむれて、やっと、やりたい事の方向性がみつかったっぽいです。滝川浩充はちびっことたわむれるのが非常に楽しいです。前々から微妙に思ってたけど、やっぱそうらしいです。それなら、弘前大学教育学部小学校過程を選ぶべきだったかなと思ったけど、そんな事はねっすよねぇ。法政選んで、岡野内正先生を選んだからべトナム行って、やりたい事が少しは見つかったんだから。
岡野内ぜミ最高!ちびっこ最高!!
● ベトナム ●
― 豊田 大介 ―
(題名はこれしか思いつきませんでした。くどくどすると安っぽくなりそうで)
ベトナムへ行ってきた。当然のことだが、だからといってすごいわけではない。ただ、自分の中で何か変わったのだけは、自分でも感じとれた。なにから書こうか。たくさんあって悩んでいる。ずらずらと長いだけの文章は嫌いなので、少し短かく、濃い文章を書こうと思っている。こういうのはできることならあまり書きたくない。自分の心の中に秘めておきたい事もある。足が動く奴、目が見える奴は自分で言ってこい!!と言いたいが、まあそれはよしとしよう。ベトナムへ行く飛行機で僕は下痢にかかった。最悪だと思った。2日目に町に出た時、僕らは初めて物ごいにあった。すごく嫌だったが、それ以上にすごいとも思った。金に困っている時、僕はこんなふうにハングリーに生きていけるのだろうかと。善悪抜きにして感心してしまった。町全体は陽気そうで陰険。なんとも変わったふんいきだ。まあ、ベトナムの人たちから見れば、日本も同じようにうつるのだろうが。物価もとても安く、1日300円あれば全然たりる。僕らがいかに金を無駄にしているかが分かる。何日目かは忘れたが、船にも乗った。田舎(といっては失礼だが)の人たちは手を振ったら振り返してくる。あたたかい人達だ。僕はずっーと一番前にいたのだが、そこで思った御琴は、大自然は素晴らしいということと人間はちっぽけだということ。なぜ思ったのかは分からない。でも、ふと、そして大きく思ってしまった。少数民族の子供たちも見た。僕は誰かが見ているからやるとか、みんながやるからやるとかいうのが大嫌いだ。子供たちとじゃれていた時、普段日本ではそんなことをしない僕がそういうのをやっていると思った。これは、さっき書いた気持ちなんだろうか。それともベトナムに来たからか。いつも日本ではそんな機会がないだけか。みんなどうなんだろう。そんなことを考えた自分がなさけなくなってくる。なさけなくなったことはもう一つある。それも子供がらみだ。僕はケサンにあるトンネルの中で子供にであった。子供はかたことの英語でしゃべってきたのだが、僕はついつい"YES"と答えてしまった。あとでコーラを買ってくれということが分かったのだが。予想以上に高く、値を下げてもらった。結局7,000ドンになったわけだが(日本円にして56円ぐらい)手持ちは50,000ドンと6000ドンしかなかった。僕は50,000ドン渡したら、全部とられてしまうのではないかと思い込み、結局買わなかった。僕は人を信じることもできない自分とウソをついた自分に情けなさをとおりこえ、少し泣いた。腹が立った。こんなんで世界を変える、あたたかい人間を目指すなんて笑わせる。本当にちっぽけだと痛感した。暗い話ばかりだったので、楽しい話をしようと思う。マングローブを見に行った。とてもとても素晴らしく、それは感動的で、この森をからす時アメリカ兵はなにも思わなかったのだろうかと少しせつなさもあった。この感動は言葉じゃつたわらない。だから、ぜひとも見に行って欲しい。帰りの船の中、僕はほとんど口を開かなかった。日本にいるのと同じようなことは絶対したくなかった。いつまでも見ていたかった。そんな所で、ベトナムの話は終わりにしようと思う。まだまだ書きたい事はあるのだが、これ以上書くと安っぽくなってしまいそうなので。ただこのベトナムの旅は楽しくもあり、考えさせられることもあるサイコーの旅でした。鈴木さん、ダンさん、先生、ゼミのみんなありがとう。なぜか分からないけどありがとう。そして、もしこれを読んでくれる人がいるなら、あなたもベトナムへ、他の国へ行ってみて下さい。きっとなにか感じるよ。それでは。
親愛なる人たちへ
● ベトナム研修旅行を終えて ●
― 中飯 聡子 ―
私は最初、「どうしてもべトナムに行きたい!!」というわけではなかったのだが、前回のぺルー旅行での経験からして、「きっと岡野内ゼミならではのすごいこと(?)をしてこれるだろう」という期待から、とりあえず行ってみようという気持ちになった。べトナムに対してそこまで興味がなかった分、べトナムの歴史についてはもちろん、べトナム戦争についても恥ずかしいほど無知だった。どうやら私は、実際にそこに行ってみないと興味がわかない性格らしい・・・。
べトナム初日の戦争博物館にて、ガイドのダンさんの説明を受けるが、戦争の経緯についての知識がないためよく理解できなかった。その後も何度かべトナム戦争の話を聞く機会があったが、本当に話がみえてこない。そこでようやく私は、事前の勉強不足を後悔しつつも、べトナム戦争というものに輿昧を抱き始めていった。早速日本に帰ってきて図書館に行き、"わかりやすいべトナム戦争"という本を惜りた。実際に行ったところが載っていたので余計にわかりやすく、しかも読んでいて面白かった。 説明を聞いても意味不明だったことがスラスラ頭に入ってきて、私は初めて歴史(といってもほんの十数年間の戦争のことだけれど)を「おもしろい!」と感じることができた。些細なことではあるけれど、私にはとっても嬉しいことだった。これがこの旅での私の―番の収穫である。
ほぼ毎日行われたミーティンクも、1日のシメというかんじでよかったし、何よりもみんなが考えてることを聞けて良かったと思う。みんな、なんにも考えてないようでちゃんと考えてるんだね・・・。
最後に、た―君の「NGOっていうのは、やってて楽しいから、おもしろいから、好きだからということでやるもんじゃないのか。それでいいんじゃないのか。」という(確かこんな感じのセリフだった筈・・,)発言がすごく印象的だっだ。そういえば、マンクロ―ブの植林活動のNGOをやっていた浅野さんも、すごく楽しんでそうだったもんな。
さて、次はどこに行こうっかな〜。