● 感想 ●
― 諸星 実弥子 ―


私はこの旅に参加するかどうかとても迷った。でもみんなと―緒に行きたかったし、きっと自分にプラスになるだろうと思い参加することを決めた。私にとってこの旅は楽しみというドキドキ、ワクワク感以上に不安、心配の方が大きかった。初の海外旅行ということもあったし、また外国の食べ物がぜんぜん食べられないこともあり、なんだか外国に対して変な抵抗感を持っていたので、不安と心配でいっぱいだった。こうしてこの旅は不安と、心配で始まった。

日本を発ち、飛行機を降りて空港から外に出た瞬間、あたりまえだけど日本とはまるっきり違う感じを受けた。暑さも加わり、においというか、あのべトナムの独特の雰囲気、空気までも違うように感じた。今でもあの瞬間のあの感覚は忘れられない。

抱えていた不安は二日目にいきなり襲ってきた。それは初めて食べたべトナム料理からだ。みんながおいしいと言って食べているなか、私は申しわけないと思いながらもいっぱい残してしまった。(それ以降はおいしくべトナム料理を味わえました)それに二つの博物館とクチのトンネルに行ったこともあり、体もいっぱいいっぱいだったから、その日の夜は正直とてもつらかった。でもあの日の夜のような気持ちはそれ以降薄れていった。そんな気持ちを吹き飛ほしてくれるほど、―日―日が盛りだくさんの内容で毎日が冒険だったから。何が―番の思い出?と聞かれても答えるのは難しい、というか答えることはできない。今、思い出してもいろいろな場面が頭の中を駆け巡る。

ちょっと思い出してみよう。べトナム戦争はこの旅のメインの―つだったろう。体で体験したクチやヴィンモックのトンネルは特に印象的だった。あのトンネルでの生活なんて考えられないのが率直な感想だった。そして戦争証跡博物館で見た写真や奇形児のホルマリン漬けなど、戦争の残酷さ、悲しさを感じさせられた。でも後悔していることがある、それは知識がなかったため、ガイドさんの説明をあまりよく理解できない部分が多かったこと。事前に学んでおけばよかったと反省している。

またこの旅ではいろいろな人に出会えた。私はべトナムの人に温かさを感じた。タンさんはもちろんホテルの方仝々、食事を出してくれた方々、みんなユーモアで細かいところにまで気を配り親切で、温かく私たちを迎えてくれた。また初めての外国のお友達もできた。ホ―チミン総合人学のミンさん、大学につくとすぐに気さくに声をかけてくれ、私もためらわず打ち解けることができた。ミンさんは私と同じ年とは思えないほどしっかりしていて、笑顔がとてもかわいい女の子だ。私のことを「友達」といってくれたことがすごくうれしかった。子ども達に会う機会が多かった。その中でも私はショックだった印象の方が 強い。まだ幼稚園ぐらいの子どもに「お金を下さい」といわれたり、ジュースやおもちゃを売る姿を目にしたときはどうしたらいいのかわからなかった。最終日の夜にみんなでディスコを捜し歩いている時には、小学生くらいの女の子が路上で―人、小さくなって寝ている姿を目にし、さすがに胸が痛かった。べトナムという国がこれから考え、答えを出していかなければならない問題を目のあたりにしたようだった。今まで本やゼミのなかで第三世界の国が抱えている間題について聞いたりはしていたけど、実際に自分の目の前で起きているのを目にすると、何ともいえない気持ちになり、考えさせられた。

そして楽しい思い出として忘れてはならないのは買い物だ。値段の交渉にはほんとに熱が入った。1000ドンでもまけてもらおうとみんなで値切りに値切り、交渉成立したときのあの快感、たまらなかった。きっとお店の人もしつこい日本人だなと思っただろう、でも楽しかった!

べトナムという国のまだほんの―部の姿しか見ていないかもしれないけど、べトナムの人の温かさ、自然の雄大さ、食べ物、生活、歴史、などなどとてもべトナムを満喫できたと思う。そして何よりゼミのみんなともっと仲良くなり、いっしょの時聞を過ごせたことが人きな宝物だ。不安と心配から始まった旅だったけど、―日―日がてんこもりで、見ることすること、すべてが初めてのことばかりの大冒険の旅だった。自分の目で見て、体で感じたこの旅はわたしのなかでこれからも大きなものとなるだろう。べトナムのみなさん、タンさん、鈴木さん、先生、そしてみんな、素敵な旅をありがとう!



● 感想 ●
― 山崎 恭子 ―


私はこのべトナムの旅で、何を感じたのだろうか、―番印象に残ったことが何なのか、その答えを出すために、あえて帰国して2週間たった今書いてみた。パッと真っ先に頭に出てきたのは、ホ―チミン総合大学を訪問したことだった。行く前、どんなことをするのだろうと思いながらも、別に何も考えなく他人まかせだった。行ってみると、私たちを迎え、歓迎してくれ、おまけにしっかり通じる日本語を話している。ピックリした。私といっしょにお話をしていたキィンちゃんは私と同じ20歳。将来の夢を持ち、―生懸命勉強し、日本人に通じる日本語が話せる。同じ20年間生きていて、そして、同じ大学主として、自分と比べると、私は何をしているのだろう、と考えてしまった。私は2年間フランス語の授業をとっていたけれど、頭に入っていないどころか話せない。同じく2年間日本語を勉強したキィンちゃんは今私と日本語で会話をしている。この差をすごくすごく痛く感じた。この差はただ、私とキィンちゃんの個人の差だけではなく日本とべトナム、その国の差にも感じた。キィンちゃんはこう言っていた、「同じく戦争に負けた国どうしなのに日本はとても発展している。べトナムも日本のように発展してほしい。」と。私たち日本人はとても贅沢な暮らしをしていて、大学は大学生活を楽しむという感じになってしまっている。でも私はこの考えに賛成だった。就職して社会人になってからではできない、学生のうちにしかできないことをする時期は大切だと思っていたし、楽しいことばかりしてい たい。ある意味、怠情で単純な考え方だった。しかしこの差を実感した今、ただ贅沢に時間までも使ってしまうのではなく、何か形として残せるような時間の使い方を考えたい、 何か1つでも人に自慢できるようなものを身につけたいと思った。そして、大学生活を実のあるものとしたいと感じた。

私にとってこのべトナムの旅は初海外で、日本とは全く異なる環境での生活にとまどいと不安でいっぱいだった。でも、みんながいたことが心強くとても支えとなった。普段は1人1人と話せる機会が少なくて、会ってもあいさつ程度だった人と色深い話ができて違った―面も見れた。人数が多い分、みんなの個性も多種多様なだけに、その個性を生かしたゼミにしていけたらすごくいいゼミになれそうだ。これからも楽しいゼミにしていけたらイイナ。

最後に、べトナムで思ったことがある。それはべトナムの空は日本のようにすみきった青空ではなかったことだ。空が大好きなので毎日見ていだが、晴天の日でも空は青くなく、どこかさみしそうなちょっぴり汚い水色をしていた。バイクなどの大気汚染が原因なのだろうか、それともたまたまだったのだろうか・・・。



● ベトナム初体験♪ ●
― 湯川 千裕 ―


海外旅行に行ったのはこれで3国目ですが、べトナムは前の2国と比べて文化や発展度が日本とはかなり違っていたので、とても刺激的でした。今までで―番の海外旅行の思い出になったと思います。それではべトナムにおいて、私がとても気になった点を挙げていきたいと思います。

@みんなバイク
べトナムに降りたって初めてのべトナムの香りを楽しんだ後、バスに乗って町を通り 抜けた時に目に飛び込んできた異様な風景。どこを見てもバイワ、バイク、バイク・・・。車はこのバスくらいで、歩行者もほとんどいなくて、みんなバイクに乗っているのです。2人粟りは当たり前。5人乗りなんてのも見かけました。信号無視も当たり前なので最初は轢かれそうで怖くて道を渡るのち―苦労でした。

Aぼったくり
楽しみにしていたべトナムでのお買い物は、思ってた以上に苦戦してしまいました。やはり私たちは外国人ということで、最初は高い値段を吹っかけられます。それから交渉 して徐徐に安くしてもらいきす。あきらめてはいけません。店員さんを言い負かして安く購入できた時のあの達成感のようなものは日本ではとても体験できないと思います。

B戦争の被害者
街を歩いていると足のない人がとても多いのが目に付ききす。だいたいは片足のない人なのですが、コロがついている板に両足のない体を縛り付けて、手の力で移動している 人を見たときはすごい衝撃を受けました。こうして被害者の姿を目の当たりにして戦争のひどさが身に染みてよく分かりました。百聞は―見にしかずです。

Cべトナムの動物
犬好きな私にとってべトナムの犬は最高にかわいかったです。全部放し飼いで、おとなしいしご飯とか欲しがったりしない、とてもいい子ちゃんばかりでした。べトナム人は日本人みたいに、首輪をさせたりとか犬にあまり構ったりしないからストレスもなくのびのびとしたいい子ちゃんになるんだなと思いました。でも今更犬に構わないなんてちょっと私は無理かも・・。うちの子はこのままではどんどん悪い子ちゃんになってしまいます。それとは対照的に観光地やレストランに行くと、熊やサル等ちょっと珍しい動物がオリに入れられていたりします。中の動物はほとんどが頭がおかしくなってしまっていました。なぜこんな所に動物がいるのかという疑問には、単純な答えが待っていました。子供を飽きさせないため・・。ショックでした。

D子供
ほとんど物売りの子でしだが、意外にべトナムの子と触れ合うことが多かった気がします。物売りの子は大体が無表情で何だかゾッとしました。たまに無邪気な笑顔を見せてくれる子がいるとほっとしてうれしくなりました。―番いやな気持ちになったのはトンネルを披けた後に出会った物乞いの子供の上目使いと偽物の笑顔です。べトナム社会の負の―面を見てしまった気がしました。

E建物
べトナムの建物のデザインと力ラーリングはすごい。どれも似た感じではあるけれど、べランダの感じとか、ボ―ダーのすだれとか、もうため息ものでした。少しフランスの影響を受けているのかもしれませんが、独特ではっきり言って日本人の目から見るととてもオシャレでした。

Fその他
その他に日本と文化の違いで気になった事はお箸を日本のように横にして置かず、縦 に置いていた事。カンカン鴫らして道を歩いてる子供の何でも屋さんがいた事。おじさんが毛抜きでヒゲを披いていた事(痛い!)。まだまだあったと思うのですが、今思い出せるのはこれくらいです。こういった文化の違いはあるけれども、やはり同じアジア人。笑いのツボとかは―緒みたいで、べトナム人とはいろんな話ができて、心が通じ合えたので良かったです。 (日本語が分かる人が多かったのもありますが。)今回の旅行は今までの個人旅行と比べて、普段だったら行けないようなところにも行けたし、先生やゼミの友達と―緒に勉強したり遊んだりできてとても楽しかったです。みんなどうもありがとう!!またゼミの旅行行きたいです。



● ベトナムの子供達 ●
― 吉田 絵美 ―


べトナムに行って、強く心に残ったことはべトナムの子供達です。日本の子供達とはまったく違っていたからです。

2月26日 ドンハのビンモック地下トンネルに行ったときの子供達。到着して私たちがバスから降りたとき、子供達がすごく騒いでいることに気づきました。私は日本人のお客さんがきて、ただ嬉しくて騒いでいるんだと思っていました。トンネルの中でも子供達と会い、その時は英語で名前を聞いてきてくれました。わたしはそんな子供達がかわいいと思いました。でもトンネルからでると子供達が水やコーラなどを買ってほしいといってきました。しかもわたしの名前をちやんと覚えていました。トンネルの中で名前を聞いたのも、モノを売るために計算されていたことなんだと思うと、なんだか苦しい気持ちになりました。わたしはバスに戻る道のりをずっと、モノを売る子供達に囲まれ、結局水を1つ買ってしまいました。ほとんど押し売り状態で、金額も高めでした。人と出会う喜びよりも、モノを買ってもらうことで頭がいっぱいになってしまう、そんな小さな子供達とであいました。そのような教育をさせられてしまっていてすごくかわいそうに思いました。

2月27日 少数民族訪問で出会った子供達。たくさんの子供達が小さな家に暮らしていました。小さな子供が小さな赤ちやんをおんぶして、あやしたりして―生懸命世話をしていたので、びっくりしました。たくさん兄弟がいるので上の子が下の子の面倒をみるというのがあたりまえになっているんだとおもいます。わたしたちを見て、ものめづらしそうにしていて私たちの方へ子供達がよってくることもなく、わたしが近づいていっても子供達はみんな逃げるようにしてはなれてしまうばかりでした。でも、だれかがサッカーボールを子供達のほうへ投げたりしている間に、だんだんと子供達がわたし たちを怖がらなくなっていました。3m、2m、1mと距離が近づいて、最後にはお絵描きをして遊べるようになっていました。子供達はすごく楽しそうだったのですごくうれしかったです。

3月3日 夜の歩道で見たストリートチルドレン。この日はみんなでディスコを探して1時間くらい夜の道を歩き続けました。結局、たどり着いたディスコは高くて行かなかったけど、その夜の道で実際に自分の目でストリートチルドレンを見ました。小さな子供とお母さんが歩道のすみでよりそって寝ていたり、小さな女の子が1人でまるくなってねていました。もし日本で女の子が寝ていたのなら、保護されるのが普通だけれども、べトナムでは小さな子供でさえも保護されないという、大きな違いがあるのです。そのまるくなって寝ている女の子の姿はわすれられません。

いろいろな子供達と出会い分かったのは、日本の子供達のように、子供はこどもらしくいることができない子供が多いということです。小さなときから、モノを売ったりすることを教育させてしまわれたり、妹や弟の世話をしたり、仕事をしたり、だれかに甘えることもできず1人で生きていかなくてはいけなかったり・・・。そんな社会が実際にあることを自分の目で見たことで、これからのアジアというものをよりみじかな問題として考えていき、勉強したいとおもった。