● 旅行記 ● ―最新版― <<前半>>



● ハハ、ハハ、ジャパニ、ハハ ●

―ソロモン諸島、マライタ島海上の家のうた―


<ミルクを流したような天の川>
マングローブ林のすぐ先、干潮になっても底が現れない海底に、死んだ珊瑚の石で石垣を組み、木材の柱をつきたてた上にのっかった、木と竹の枠に椰子の葉屋根をのっけた海の上の家。細長いその家の端っこにあるベランダに寝っころがって、天に向かう。月がまだあがらない漆黒の夜空に、ミルクを流したような天の川、あっと叫ぶほど明るい無数の星。…ふと、すぐ下の海を覗き込めば、星明りが反射するかのように、銀色にキラキラ光る波。夜光虫がきらめいて、海に差し込むカヌーのオールの形がキラキラと浮かび上がる。

<ハハ、ハハ、ジャパニ、ハハ>
私たちのごはんをつくってくれる偉大な母のOさん、その孫娘14歳のとてもよく働くC、その弟の悪ガキたち、親類で向こうの島の漁師Sさんやいろんなおじさん、おばさん、その子供たち…。そして日本からの私たち4人。そんなベランダに、みんな集まってきて、歌をうたう。「おつきさま、おそらのてっぺんに、でたよ。おほしさま、おそらいっぱいに、きらきらだよ。」そんな意味の「ブルブル、ナ、シガリ…」っていう歌が音楽的には私のいちばんのお気に入り(ソソソソー、ラシーシソ、ミソーラ、ソレファミ、ララララ、シ[高い]ドーソ、ラソーレ、ファーミド、てな感じ)。ここ海の民の言葉の歌。でも、なんとも不思議で忘れられない歌がこれ。日本のことを歌った、「ハハ、ハハ、ジャパニ、ハハ…」という歌。

<むかし、日本人が、…>
「ジャパニ、ワンス、アマーニ、エブリアイランド、パシフィキ、…」で始まるこの曲は、どこかで聞いたような懐かしい節。同じ島でも海の民と山の民では言葉が異なり、島ごとに異なるさまざまな言語が話されているソロモン諸島での市場の共通語、ピジン英語の歌なのでなんとなく意味もわかるような。「アメリカ、シムシマ、カピタラ、トキオー」と続けば、むむむ?…そして、最後に、「ハハ、ハハ、ジャパニ、ハハ。」とくる。訳せばおそらくこんな感じか。

 「むかしむかしのこと、日本人が、太平洋の島々にやってきたよ。
  そしたら、アメリカ人がきて、首都東京まで追っていったよ。
  みんな、みんな、みてごらんよ。みんないなくなったよ。
  はは。はは。日本人が、いなくなったよ。ははは。」

<ガダルカナルの戦い>
マライタ島から、ソロモン諸島共和国の首都ホニアラに戻り、マライタ南部アレアレ人音楽のCDを買った国立博物館売店のおばさんの前で、この歌をうたった。おばさまは大笑いし、「あはは。島の人は、その歌をあんたたちの前で歌ったのかね。まあ。悪い人たちだね。」「いえ、いえ、日本が戦争にきたのは、事実だし、侵略はよくないこと。おばさんも知ってるんですか?この歌?」「ああ、有名なララバイ(子守唄)だよ。」…ホニアラはガダルカナル島にあり、私たちが泊まった日系資本のホテルやそのすぐ前の博物館のあたりは、大日本帝国軍部隊が米軍の猛攻で全滅し、大日本帝国軍の侵略の野望が挫折し始めた所だとどこかのサイトにあった。

<ゼミ・ソロモン研修旅行>
ゼミの第1回研修旅行で、いっしょにミンダナオ島に行ったゼミ卒業生。学園祭にきてくれた彼女が、おもしろそう、と紹介してくれたソロモン・ドルフィン・センター(SDC)。イルカと泳ぎ、大自然の懐へ、というりっぱなウェブサイトを見れば、日本人の家族が住み込んで、なんだか、まったり、のんびりと、エコ・ツーリズムを模索してる感じ。自然にやさしく、自然に親しむ観光を!というのはいいのだけど、フィリピンやオーストラリアで、自然を壊してしまう大規模で微妙なエコ・ツーリズム開発を見たことがある。SDCのまったり気分が、おもしろく、ゼミ生にふると、ソロモン熱が発生。…航空運賃が高い(18万円近い!)こともあり希望者次々断念、結局4名で出発。ちょうど日本に里帰り中のSDC現地在住Dさんのご好意で、滞在費は実費のみと驚異的に安くしてもらい、航空運賃含む全費用は2週間で20万円ほど。

<ポート・モレスビーからホニアラへ>
パプア・ニューギニア航空なので、成田から7時間あまり飛んでパプア・ニューギニアの首都ポート・モレスビーへ。乗り換えでオーストラリアに飛ぶギャルやチャラ男たち(?)が飛び立ったあともひたすらベンチで寝て待ち、酒類をがんがん飲ませてくれるパシフィックな客筋のホニアラ便で4時間ほど。…Dさんお勧めの日系ホテルは、豪華プールつき。援助ビジネス関連の社用、公用族でいっぱい。一歩出た通りは8人のりくらいのバンの乗り合いタクシーというか小型バス待ちの人でいっぱい。空港で知り合ったAさん勤務の国際機関事務所に押しかけ、質問ぜめ。こっちの事前勉強不足にもかかわらず、丁寧に答えてくれるAさんのおかげで、1999年には内戦が勃発し、2006年にも中国系へのちょっとした暴動、昨年末の選挙でようやく安定してきたこの国の状況がかなり明確に。…

<ソロモン独立から内戦へ>
ソロモン諸島なんて名前は、聖書にあるソロモン王の財宝とやらに目のくらんだ16世紀にやってきたスペイン人が、勝手につけた。けっこう獰猛で、人食いなんかもやってた部族などに追い返されたヨーロッパ人たち。キリスト教の布教の後、ようやくイギリスが領有宣言できたのは、19世紀末だったらしい。そのイギリスもけっこうてこずり、日本が侵略した第2次大戦の後には教会の革新運動と結びついた独立運動の盛り上がり。1970年代に独立。1990年代末、やたらと元気で、はしこいマライタ島民が首都でのさばり、土地を買い占めてプランテーション経営まで始めたことに反発したガダルカナル島民で武装攻撃するものが現れ、これに対してマライタ系の武装組織が造られ反撃。オーストラリア軍主体の国際監視軍が導入されてようやく武装解除へ。…いまも国際監視軍は駐留していて、場違いな白人のお兄さんたちが完全武装で博物館の裏、国会議事堂の丘の麓をうろうろ。

<ホニアラからアトイフィへ>
高価なのに込み合っているホテル食堂を避けて、昼は商店街の屋外フードセンターで、焼魚や鶏煮込みとタロ芋や米の地元料理やFish & Chips(芋がサツマイモ系で甘くてうまい!)にココナッツジュース、夜は安い町の中華屋(広東と福建が並んでいるが、大繁盛の広東料理のほうが圧倒的にうまい!)で本格的な中華料理とソロモン・ビール。飛行場往復は流しのタクシー(たしかに運転手はマライタ出身が多い)。国内線のマライタ島アトイフィ行き飛行機は、8人乗り超小型。雲に突入するときのふわっと感を楽しみながらさんご礁の海、マライタ島のジャングルを空から見ながら、1時間ほどで到着の飛行場は、草原。突然、豚が飛び出して、しばらく飛行機に追われて滑走路を疾走し、草むらに突入。…迎えにきたFさんとトラクターに乗って、桟橋というか、岩の突き出た海辺へ。

<アトイフィからSDCへ>
イルカが出ることがあるという海を椰子の海岸をみながらモーターボートで突っ切って1時間弱。SDC海上の家に着いたときは、大潮の満潮で、珊瑚の砂で埋め立てて陸地のはずの母屋の下まで波に覆われている。これはたいへんと地元の人と同じ裸足になり、岩の上に上陸したとたんに、波でこけそうになり、数歩歩いて、やわな足裏をすりむいてしまう。…ま、この程度、とバンドエイドもつけずにほっておいたのが大失敗。翌日からさっそく傷口が化膿。でもせっかくの南の海、毎日海に入って、珊瑚やお魚をみたり。…その結果、その後一ヶ月たっても傷が治らないどころか、化膿箇所が広がり、足が赤く腫れてくるにいたって、病院にいくと、医者から危ないところと脅され、すぐさま抗生剤の点滴を打たれる始末。ホニアラでAさんから、マラリアもだけど、海で怪我をすると、ボイルっていう病気になって化膿し、とにかく痛くって、協力隊のひともみんなやられるから、気をつけて、と聞いていたのだが。

<ミスター・ベッロ、ニュージーランディ…>
ソッソ(高い)ドードー、シッラソーミー、ソーソレーレー、ソーラソファミで始まる陽気な歌。ドーレミーミー、レーレドードー、ミーミファーファー、ドーレミと始まる「ジャパニ、ハハ」の歌とちょっと似た雰囲気。歌詞は、「ミスター・ベッロ、ニュージーランディ、カムフロム、ソロモン、アイランディ…」と始まる。1927年にイギリス政府の命令で人頭税を集めに来たミスター・ベッロという役人が、村人に殺された話を歌ったものらしいのだが、歌詞の意味がだれに聞いても要領を得ない。帰ってネットで調べると、ミスター・ベッロ(Bell)は、ニュージーランド人ではなく、オーストラリア生まれだし、「カムフロム・ソロモン・ソロモンアイランド」というのも奇妙。しかし、みんなこの歌が大好きで、ジャパニの歌といっしょにいつも大合唱。首都の博物館のおばさんも「知ってるよ」というピジン英語の歌。

<ミスター・ベッロの最期!>
最終日の朝、SDCのオーナーで、Oママの夫、地元政治家のBじいさんにせがむと、話をしてくれた。「…地元のものたちは、みんなで集まって相談し、武器を隠して、島に乗り込んだんだ。ミスター・ベッロと同僚は、人々を集めて、さあ、税金を払ってもらおう、と言った。すると、男が立ち上がって、隠し持った金具を振り上げ、ベッロの頭を叩き割りながら叫んだ。『これが、おれたちの税金だ!』」Bじいさんは、当時の地元の者たちは、クリスチャンではなく、悪魔を信奉していたんだ、と顔をしかめてみせながらも、この最期のせりふがよほどのお気に入りらしく、ジェスチャー入りで3度も繰り返し、持っていた雑誌のようなもので、私の頭を叩き割らんばかり。

<ベッロ最期の島>
その島は、SDCの海上の家の東、200メートルほど沖合いにある小さな島。さんご礁が盛り上がって、ちょこっと木と草が生えただけの平らな島に、高床式の50世帯ばかりの家がひしめく。家々の間にあるベッロ氏ほか1名のイギリス官吏のりっぱな石碑。「任務遂行中に殉職」などと刻んである。漁師ばかりのこの小さな島に、教会が3つもある。イギリス国教会と、アメリカのプロテスタント系のセブンスデー・アドベンチストのものは、木々に囲まれ、コンクリート造りで隣には墓地も。海辺に最近できたというのが、ソロモン独自のプロテスタント系、South Sea Evangelical Church(SSEC:南海福音教会)の教会。

<説教師のじいさん>
その島に住むらしいSSEC説教師(pastor)のじいさんが、夫婦同伴でほぼ毎日のようにカヌーに乗って私たちのいるSDCのOママを訪ねてくる。彼の話によれば、もともとみんなSSECだったのに、たまたまイギリス国教会の奨学金で学校にいった家族がそこに改宗し、さらに、セブンスデー・アドベンチストが造った病院(アトイフィにある)でお世話になった家族がそこに入り、こんなになったとか。…ソロモン諸島全体ではイギリス国教会、ローマ・カトリック、SSECの順で多いが、マライタではSSECが圧倒的だという。「よその教会は、外国に本部がある。SSECは違う。ソロモンで選ぶ。そう、みんなで選挙して。いちばん独立しているんだ。」とじいさま。

<日曜礼拝>
その小さな対岸の島の漁師Sさんが、日曜日の朝に顔を出し、教会の礼拝に行く、というので、睡眠中の学生諸君を置いて、カヌーに便乗。マライタ本島に渡り、Oママの息子たち一族の家々を通り抜け、小さな木造壁なし吹き抜け小屋の教会へ。正面に祭壇はなく、式次第の書いた黒板。その上に小さな木の十字架。教卓の下には、造花の花束2つ。ちょっとした庭園になっている教会の外の色とりどりの花に蝶が舞う。教壇に息子さんのPさんが登場し、司会。私なんかも紹介されたり、歌ったり、祈ったり。右手の女性席にはOママやおばさんたち、前の子供席には孫のCほか悪ガキたち。左手の男性席には、ほかの息子たちはいない。…やがて説教師のじいさんが登場し、Anti-Christ(反キリスト)というテーマを黒板に書いて、長い説教。英語、ピジン英語、海の民のことば、自由なまぜこぜ。ふと見れば、隣のSさん、うつらうつら。…

<キリスト教による文化破壊と創造>
おそらく日曜礼拝のハイライトは、みんなの合唱。タンザニアの教会でみた太鼓と踊り、フィリピンでは必ず登場のギターはないが、こどもを含む総勢20人ほどで声を張り上げて、微妙にハモりながら歌う気持ちよさ。だがメロディは明らかにアングロサクソン系の賛美歌で、歌詞は私のような怪しい仏教徒には過激な「主よ、イエスよ!」の大讃美。…漁師のSさんに、古い歌を教えて、と頼むと「ファリーマ、スリナウ(我に従え)…」。歌詞もそうだし、メロディーもあまりに賛美歌なので(ミミーレミファソ、ララーソラシ[高い]ド、ドドシラソソミ、ソソーミレレレ…うーん、そうでもないかな?)かなりがっかり。でも、みんな大好きで、しょっちゅう歌う。興が乗るとOママは、踊りまで。

<踊りは…?>
それはリズムに乗って、前後に手を繋ぐように歩くだけのものだが、初めて見たこちらの踊り。「踊りは、山の民だね。この辺では、踊らないよ。」というのが公式の答えだったけど、あるじゃん!…と思ったが、やはりほかに出てこない。歌が盛り上がった時にPさんが披露してくれたのは、たまたまソロモン来訪中のパフォーマンスを見たというニュージーランドのマオリの踊り。ちょっと怪しいが本場仕込みの私も加われば、大迫力で大うけ。あとでウェブサイトを見れば、SSECでは、伝統的な祖霊信仰に繋がる踊りや音楽を禁じる傾向にあるという。さらにアルコールや、タバコ、ビンロウ(betel nut)も禁止だとか。


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