前半へ→  ←前半へ



● 旅行記 ● ―最新版― <<後半>>


<ビンロウ?>
礼拝の司会までやるPさんが、ビンロウ中毒の大家族の前で、「タバコとビンロウじゃ、必ず癌になっちゃうよ。」なんて発言をして、一瞬、座を凍らせた背景には、そんな教会のキャンペーン?…Oママの長男やCの兄貴をはじめ、Pさんの兄弟のほとんどが、なかには夫婦で、ビンロウ噛み噛み族。いつも口が真っ赤。歯は、溶けてボロボロ。最終日のさよならパーティーでソロモン・ビールを!という長男の計画がいつのまに立ち消えになったのも、SSECの教えと関係があるかも。伝統的な祖霊信仰を悪魔と決め付け、キリスト教を選択してしまった今、「独立」をめざすSSECの人々は、人々が自立できるようにするための筋の通った倫理を創り出すことにやっきなのかも。

<ビジネス担当>
そのPさんは、一族のビジネス担当らしく、ココ椰子からとれるコプラの輸出で忙しい。長男の家の前に積んであった角材も輸出用。自然を壊すような森林伐採は良くないんだ、と言いながら、しっかり取引しているところがおもしろい。マレーシアあたりの会社が入り込んでのソロモン諸島の森林伐採はかなり危機的な状況だとは、Aさんの話。権利が入り組んでいて、商売上手が多いために、マライタ島はいちばん伐採が進んでいない、とも。…出発前に訪問したSDC東京事務所の方のお話を思い出した。「どっかを開発しよう、ということになると、すぐに、あちこちからいろんな部族の代表という人が現れて、そこには自分たちにも権利があると言い出して、何も進まないところなんです。」

<開発の夢>
「いいと思いますよ。そうやってゆっくり、話し合いながらって。」その時そう答えたが、ほんとうにゆっくり、じっくりやってほしいと思うのだ。…だが、人々の欲望とともに、開発の波は確実にやって来ているようだ。かなた沖合いに見える一口齧ったドーナツのような無人の環礁、L島。そのL島の地主だというおじいさんが訪ねてきた。L島が無人島になったのは、キリスト教伝来後のこと。教会に通う必要ができて、みんなで移住した。自分は、それ以前、あの島にいちばん最初に住み着いた部族の子孫なのだ、と言う。懐から、大事そうに手書きの書類を出して、開発計画を説明してくれる。

<無人のパラダイスL島>
裁判をやり、首都の上級審までいって、ほかの部族の子孫の要求を退け、地主という証明をもらうのに、十数年。今ようやく、計画を実行に移すとき。…広げてくれた島の地図を見ると、宿泊施設だけでなく、飛行場の図面まで書き込んである。「いいと思うかね?」「はあ。」「実は、入島料を取ろうと思っているのだ。君たちが最初の客だよ。」「はあ?」計算すると、あらかじめ払っておいた額以上になる。ちょっとあたふたし、支払いを待ってもらい、後で、Oママの長男に相談すれば、「ふうむ。そんなこと言ったのか。…じゃあ、私から、その計画は次回からにしろよ、と話すよ。」で、とりあえず落着。南の島をめぐる剥き出しの欲望にギクッとした一瞬。…一族郎党乗り込んでの翌日のボートツアーは、すばらしい珊瑚礁と、白い砂浜、発芽した椰子の実の強烈な甘さ、とれたて魚塩焼きのうまさ、最後に、帰りのボートの彼方に現れた4匹のイルカの連続ジャンプ。

<イルカいるか?>
飛行場のアトイフィ近くの大海原までモーターボートで行く、ドルフィン・ウォッチ。イルカが現れれば、いっしょに泳ごうと水着を準備、海鳥群れる魚群の上を旋回するもイルカ現れず。結局、それはイカの形の疑似餌でのツナ(マグロよりはカツオに似た魚)釣りツアーになってしまっただけに(あっというまに2匹釣れ、けっこうおもしろい!)、L島付近のイルカ登場は大喝采。漁師のSさんによれば、クリスマスの頃には、何百頭も現れて、SDCの近くを泳ぎまわることもあるとか。…国際的非難を浴びた日本のイルカ漁のことを思い出して水を向ければ、モリで突くこともあるけど、石をカチカチ鳴らして、マングローブの岸辺に追いやり、ごっそり取る漁もある、と。…これも後でネットを調べれば、日本と並んで、ソロモンは残酷イルカ漁で有名みたい。そんな日本からイルカと仲良く、なんて人々が訪れるというのも、おもしろいかも。

<市場>
このあたりには電気もガスも水道もない。しかし、火、木、土と週に3回、本島で市が立つ。魚や野菜、肉(生きた鶏や豚)は、この市で買い入れて、新鮮なうちにいただく。冷蔵庫のない暮らし!内2回はやや内陸にはいりこんだ教会の隣にある、りっぱな屋根と柵で囲まれた市場。内1回は、浜辺に屋根をおったてただけの簡易市。山の民は、家から持ってきた数えるほどのフルーツや野菜、イモ類、鶏を並べる。バナナ葉で包んだり、竹筒に入れたイモ系ココナッツ菓子を売る人も。…海の民は、新鮮な魚を並べる。バナナの葉で蒸し焼きにした日持ちのしそうなのを売る人もいる。それぞれ、相手のことばで挨拶しながら、ほぼ定価販売。値札を立てて売る人も。あちこちからとにかく人がわんさ。カヌーであちこちから海の民がいっせいに浜をめざして集まってくるさまは壮観だ。海の民、山の民の単純明快な物々交換に近い市場。しかし、お茶や調味料、石鹸やビニールで包んだ菓子やノートなど、この辺ではとれない工業製品を売る雑貨屋も。小さなお金がない時は、この雑貨屋で何か買うと、必ず、おつりが出てくる。

<台所のぞき見>
Oママの孫娘Cが料理するところをのぞきに行った。母屋とは別に、小さな台所小屋があって、かまどでは、ずっと火がくすぶっている。イモ類は、パシフィック式の蒸し焼き。熱くなった地面にイモ類をのせて、熱い石をのっけて、その上から、バナナの葉のようなものを何重にも覆って数時間。…食事は、朝は、ほのかにココナッツの香りがする村のパンか、ビニールで包んだココナッツ・ビスケットにお茶(雑貨屋で仕入れたにちがいない)。お茶かコーヒーを持参せよ、という指示だったので、お湯でそれぞれのものを作る。Oママたちがインドネシア製インスタントの砂糖・ミルク・コーヒー入りビニールパック入りのミルクティー(これも雑貨屋で大人気)を飲んでいたのには驚き。たしかに面倒はないのだが…。

<ツナ・ラーメン野菜いため>
昼と夜は、いつもご飯(普通の日本のやつのようなごはん!あるいは、ココナッツオイルの入った香りのあるやつ)にイモ類、そして、市の日にはいろんな種類の焼き魚。でも市のない日には学生たちに人気のツナ・ラーメン野菜いためがよく出た。ココナッツオイルを使っているので、香りはいいが、インスタントラーメン味が強烈で、ガキの頃からインスタントものばかり食べまくって、最近自然派に転向した私としては、ちょっと悲しい。台所には巨大な味の素の袋もあって、ガンガン入れていたとチェックにいった学生。…二度ほどウミガメを食った。こっちは、Oママの息子たちの家からの差し入れ。チキンに似た肉の味だが、味の素っぽい味付けなので純粋な味が不明。市場で見た血だらけでのたうっていたウミガメらしい。絶滅危惧種かも、とちょっと心配になりつつも、神妙に味わう。濃い後味がちょっと悲しい。

<果物のしあわせ>
昼も夜も、パイナップル、バナナ、パパイヤなど。これがどれもうまくて幸せいっぱい。市場で買ったスターフルーツは朝にかじってさっぱり。その種やバナナの皮など、海に投げろというので、その通りすれば、黒い熱帯魚っぽい魚たちがピラニアのように群がってきて食べてしまう。…SDCの海上の家のまわりはほんとうに海中熱帯魚の宝庫。水族館なんぞでおなじみのサンゴ礁の魚が普通に。ちょっと大きめの青魚系が回遊にきたり、表面あたりにサヨリがひょろひょろ現れたりも。潜ると、巨大なシャコ貝がすぐそばで口を動かし、様々の珊瑚群落も。ワニを見たという学生も(Cによれば、この辺のは、危険でないとか)。

<巨大イソギンチャクの最期>
…ちょっと沖合にいくと、急に浅くなって海底が砂になっているところがあり、素っ裸でカヌーに分乗した子供たちは、そこで泳ぎ、大きなマキガイや、巨大イソギンチャク、ウニを採集。これ、うまいんだ、と見せてくれた巨大イソギンチャクは、直径20センチほど。指を出すと、触手を動かして、吸い付いてくる。イソギンチャクを食べるなんて話は初めてで、楽しみにしていたが、われわれの食卓には現れず。どうやら子供たちのおやつで消えてしまったらしい。しかし、30センチ近いマキガイのほうは、雨水をためたタンクの水場の横に放置され、ほとんど死に掛けた翌日になって、賞味。新鮮なうちに調理しないのは、肉が貝殻の奥に引っ込んでしまわないようにするためか?サザエ味でうまい。

<カヌーで登校>
小学校は、ベッロ最期の島の隣にある、同じような小島にある。それは、海の家の東側にあるので、こちらからは、子供たちが、いっせいにカヌーで朝日に向かっているように見える。それぞれ一人、あるいは兄弟姉妹で乗った小さなカヌー。…その島を訪ねると、赴任したばかりの校長に歓待され、貴重な生徒用ノートまで記念にもらったが、その校長も、毎朝カヌーで登校するという。Oママの孫娘Cがカヌーで通う中学校にも行った。日本政府の援助で最近建ったという校舎の各クラスを回って学生もわたしも自己紹介のあいさつ。

<ストーリーストーリー!>
子供たちを前にすると、つい、熱く演説。…ぼくは広島の出身。日本の人々は侵略戦争を反省して、一生懸命働き、技術と経済を発展させたけど、公害で苦しみ、いまじゃホームレスがいっぱい。みんなは、しっかり勉強して、日本とは違うやり方を考えてね。この校舎すばらしいからうれしいけど、フィリピンでは、日本政府の援助で造った工場が公害を出して、海と森が汚され、人々が病気になったことも。だから、うまい話にも気をつけたほうがいいかも。…校長さんたちにも聞かせたくて、あっちこっちでいろんな話。…話をすることを「ストーリーストーリー」という。SDCを訪ねて来る人々にせがまれてよくしゃべった。テレビもラジオも新聞もない所なのだ。…人口50万のソロモン諸島に対してあまりに巨大な日本。3万のホームレス。毎年3万人の自殺。一日百人近くの自殺だよ。リストラの中高年男性。仕事がないと生きていけない国はみじめだね。ソロモンは、森と海があって、きれいなら、とりあえず、生きてはいけるね。

<Oママの足裏>
サンゴ礁の熱帯魚を見下ろしながら、ベランダで足つぼ指圧。Oママも登場して、ひざ上が痛いと自分で揉むので、私が足裏のつぼから指圧。おそらく半世紀くらい、ずっと珊瑚の石と大地を踏みつけてきた裸足の足裏。…ほんとうに爪に近い硬さと厚さ。そんな足裏のつぼはあきらめて、もっぱら足指を。しっかりと広がった、大きな指。そういえば、小学校の校長先生も、中学校の校長先生も、もちろん、生徒たちも、みんなみんな、裸足だった。裸足の足指に包帯を巻いた先生もいて、裸足は、時に危険なことを物語る。首都ホニアラでは、道行く人の半分くらいは靴だった。…もっとも海上の家に住み、カヌーで動いていると、足を水につけることが多いので靴は不便。私もかなり裸足で通して、いつまでも傷口を水にさらすはめに。

<ゲームとギター>
こんな風光明媚のパラダイスで、ゲームの電子音。Cの弟がパパに買ってもらったものらしく、夢中でいつもピコピコやっている。ウクレレ大のおもちゃのようなギター。弦が一本切れて、4弦だが、大活躍。Cの兄弟、そのパパやおじさんおばさんたち、みんな、とてもうまい。…昼飯後の睡魔に襲われ、部屋に戻って、ベッドにごろり。椰子の葉の天井に映る、太陽を反射した波のゆらゆらをぼーっと視界にいれながら、意識を失っていくと、いつのまに、けだるいが、どこかに張りのあるレゲエ調のギターと歌。Cの兄とお友達がなにやら話しながら、かわるがわるいつまでも。

<滝つぼジャンプ!>
Oママの兄というじいさんの案内で、本島の中学校の奥の山を登り、川をさかのぼって、ビルの3階分くらいはありそうな高さの滝へ。子供たちや元気な学生は滝の上から滝つぼジャンプ。負傷の私は、それでも滝つぼちゃぷちゃぷ、潜ったり。谷間の陽だまりで、甲羅干しをしようとして、ふと、小さな虫が飛ぶのを発見。急にマラリア危険地帯にいることを思い出してぞーっとし、体を拭いて、虫除けスプレー。いっしょについてきた、学校が嫌い、といって、いつもSDCで遊んでいるCの弟、小学校2年くらいのJ君は、大きな川えびを口にくわえて河童さながらのたくましさ。

<…ジャパニ、ハハ>
私たちが飛行場に向かう朝。14歳の女子中学生Cとは、SDC海上の家で別れた。Cは、中学校のある北のほうへ、カヌーを漕ぐ。カヌーはだんだん小さくなる。突然、カヌーが止まった。Oママが言う。どうしようかと考えてるみたいよ。…「オーイ!」私たちが叫び、名前を呼べば、カヌーはくるりと向きを変え、こっちへ。Cは、学校をさぼって、私たちを見送りに飛行場まで来てくれた。…日本から来た4人の10日間の海上の家生活。海上のトイレに大きな作品を加えると、ぽっちゃん、おつりがきたと大騒ぎ。子供たちと、海に潜って、歌って、踊って、女の子同士のお話もいっぱい。暗く恐ろしい日本の話もいっぱい。…そんな私たちのこと、ソロモンの人々は、こんどはどんな子守唄にするのだろう? 

(2008年3月25日)