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<ルイス・バラガン邸と建築家の眼>
首都での自由行動日。私は、参加学生の中でデザイン系を専攻する2人、それに宿でいっしょになった、春から設計事務所に勤めるという工学部建築学科四年生のF君を含むグループにくっついて、要予約のその道では有名な建築家の設計した家を見に行った。巻尺持参F君のメキシコ旅行の目的は、この建築家の作品を見ることだそうで、入り口のまわりをうろうろ、壁をなでなで、あちこち測ってみたり、テンションの高さは尋常でない。わがデザイン学生たちも、壁をこつこつ、照明を覗き込んだり、スカートの下までひっぺがして種と仕掛けを探るがごとし。いっしょにいるうちに、作る側、設計する側の建築物の見方が伝染してくる。…建物に入ったときに感じる、圧迫感や開放感、静謐感や軽い興奮、そんな何気ないような気分の違いが、天井の高さ、床や壁の質感や色、照明の位置や色調、要するに建築家がデザインする個々の要素によって決まってくるというのだ。…彼らにくっついて椅子の位置やベッドの位置にしゃがんであたりを眺めたり、部屋ごとに違う花瓶の花の香りまで含めて、全身で感じる部屋めぐりをしながら、これまでの人生でずいぶん損をしてきたような気がした。…建物も部屋も、そうあるほかないものとしてしか見てこず、それに自分を合わせることしか考えなかった自分。ちょっとしたデザインの変更で、ずいぶん違った気分ですごせたかもしれないのに。…世の中の仕組みについても同じかもしれない。経済も政治も法律も宗教も人間が作ったもの。ちょっとデザインを変えるだけで、すいぶん違った気分ですごせるはずなのに、人々は、そうあるほかないものと考えて。自分をあわせることばかり考えるようになっちまう。…

<チアパスへ!>
飛行機からは富士山のように雪をいただく火山が見える。山間の州都に降りたって、三台のタクシーで2時間ほど。険しい山越えをして、サン・クリストバル・デ・ラス・カサスという石畳の道路の古い町へ。スペイン人がメキシコを征服した16世紀、先住民への残虐な仕打ちを批判したことで有名なラス・カサスというカトリックの坊さんが住んだ町。1994年、サパティスタ蜂起の際には、この町が先住民ゲリラに占拠され、それをメキシコ軍が攻撃。この町の大聖堂の坊さんが仲介して、政府との平和協定が実現し、先住民自治区ができて、現在にいたる。中南米の多くの国でおこなわれたような大虐殺によって軍部がカタをつけることは簡単だっただろう。が、長年の政権党の腐敗でガタがきていた当時の国内政治状況と、インターネットを使って、各国政府とNGOに対して先住民の権利を訴えて、国内的・国際的に強力なアピールを行ったサパティスタ側の広報戦略が功を奏し、生き延びた先住民ゲリラたち。…当初は、自治区の訪問も考えたが、日本側支援団体のサイトを見れば、軍か警察につかまって国外退去になることもある、などとある。自治区の存在が合法的なものである以上、単なる訪問は非合法ではないはずだ。日本国外務省のサイトも、自治区の全体ではなく、グアテマラ国境付近を「注意喚起」(外務省の三段階の危険レベルの最低)地域に指定するにとどめ、ゲリラよりも反ゲリラの武装団体と盗賊への注意を喚起している。…とはいえ、今回は準備不足もあって断念。ネットで見つけた、博物館をもち、先住民文化研究が中心で生活支援にもかかわるというNPOの宿泊施設の予約を取りつけて、現地へ。

<先住民の村へ>
コロニアル建築のすてきな博物館兼ホテル兼NPOオフィスで、唯一流暢な英語をしゃべるお姉さん。おすすめの二泊三日ジャングル・ツアーの料金がハイシーズンで、通常の2倍以上もする上に、宿泊のバンガローがスウェーデン人観光客の予約でふさがり、とれない。われわれのスタディ・ツアーの趣旨を理解して、五泊六日の滞在のために、先住マヤ民族の伝統医療博物館訪問、谷の深さ2,000メートルという大渓谷下り、先住民女性団体との懇談、先住民村訪問をアレンジしてくれる。
 マヤの伝統医療は、種々のハーブから鉱物、動物や虫の黒焼き系まで、中国の東洋医学と並ぶ奥の深さ。我々が最も感動したのは、展示でもビデオでも見た出産シーン。ひざまずいた妻を夫が正面から抱きとめて立ち、マヤの産婆は妻の背後にしゃがみこんで赤ちゃんをひっぱり出す。種付けだけでなく、産み落としまで男女の共同作業でやろうというわけだ。この博物館には先住民の間に伝統医療を広めるNGOオフィス、薬草園、診療所、薬工場もあって、カゼの何人かは伝統薬を購入して人体実験(効いた、効かない、両論あり)。ワニのいる大渓谷は巨大なダム湖になっていて、むしろ立ち退きなどの社会的影響が気になる。女性団体との懇談は祭りの準備で忙しくなり、最終日まで延期になったうえ、実現しない。

<町をうろつく>
この町滞在の最終日前日にセットしてある先住民村訪問までには、われわれも石で固めたこの町をそうとうに歩き回り、教会や大聖堂をのぞき、パン屋で朝食を仕入れ、クラブでサルサを踊り、ヴェジタリアンの店で天かすをまぶした不思議な巻寿司を食い、サパティスタの壁画と写真を展示するオーガニックとフェアトレードの店のなじみになり、いつも酔眼のすてきな日本人のじいさんK氏が経営する安宿ものぞき、安宿のむこう、真っ黒などぶ川を渡って、石畳のない赤茶けた泥道を歩いて有力者支配の伝統的な村を逃れてきた先住民が住みついた新村(この地域の1980年代半ばまでの歴史を描いた、清水透著『エル・チチョンの怒り』に出てくるやつだ)が町を取り巻く山の中腹まで広がるのを眺め、作物を作るには小さ過ぎる庭の豚や鶏や子どもと挨拶をしたりした。
 K氏によれば、日帰りで行ける先住民自治区もあるという。自治区のことに詳しいKさんや、自治区側のパスポートチェックだけで訪問してきたという宿泊客の女子学生たちの話を聞くうちに、サパティスタ自治区をのぞいてみたい、というRやYなど参加学生たちの熱望がいや増す。1994年蜂起のときにこの町の学生だった、サパティスタの友達もたくさんいるよ、という受付のNPOスタッフが、連れていってあげてもいい、という話にもなりかけたが、英語をしゃべるガイドが、危なくってとんでもない、と言い出し、我々のプログラムをアレンジしてくれたお姉さん―やはり、蜂起のときにこの町にいて、貧しい先住民が軍に攻撃され、先住民どうしの殺し合いに発展していくのが耐えられなくて、イギリスに留学したと言う―が、危ないとは言いたくないけど、日本人はお金をもってると思われて誘拐されるリスクがある、去年だったかスウェーデン人が誘拐されて大使館に連絡をとるやら、大変だったの、と言われて、あきらめる。

<先住民自治区へ!>
先住民村訪問の朝。先住民のツェルタル人の村出身、長年博物館の創設者のドライバーをやり、1994年の蜂起の際にはジャーナリストの案内人として戦闘の前線を歩いていたというPさんがガイド。これから訪問する村のツォツィル語の挨拶を教えてもらいながら町の中心部へ歩く。先住民の運転する小型バンにむりやりにつめこまれて山へ。一時間も走らぬうちに山道の途中で下ろされ、バンを返す。少し歩けば、眼下に広がるちょっとした谷間の集落と四角に区切った緑豊かな畑。あちこちにビニールハウスも見える。「この村は、サパティスタ自治区。平和協定の前は、こちらの道路側に軍が展開して大変だった。今は大丈夫ね。右側の奥に広がるのは私達が最初に訪れるシナカンタン村。今はサパティスタ支持の人も多いから、どちらも仲がいいね。みんなもパスポートはいらない。笑顔だけ必要ね。」とPさん。突然の自治区出現に一同呆然する間もなく、「さあ、行こう!」とそっちにむかって前のめりの独特の早足で小道に降りて歩き始めるPさん。ビニールハウスでは、ヨーロッパやアメリカに輸出する花を作っているという。「だからここは自治区の中でもいちばん豊かな地域。だからとても平和ね。」とPさん。ひとまたぎできるほどの鉄条網で畑との間を区切ったあぜ道を歩きながら、「鉄条網の向こうが自治区?」と聞けば、「そうだ」という。「じゃあ、右側の畑は、シナカンタン村?」「いいや。境界線はもっと向こう。後で教えるよ。」「ということは、私達は自治区の中にいるってこと?」「そう。だから言っただろ。笑顔だけでいいって。」

<笑顔とあいさつ>
なるほど、四角の豊かな緑の畑でなたをふるう四人くらいの男たちにも、小川で洗濯をする母と水浴びの子供達にも、Pさんは、笑顔とツォツィル語の挨拶を送りながら早足で通り過ぎる。「リオ・て〜」と、最後の独特の抑揚をまねて、我々もあいさつをすれば、帯で留めた黒い腰巻スカートのおばあさんや、独特のふさふさをくっつけたカラフルなちゃんちゃんこのおじいさん、あるいはこどもたちから、一瞬のこっちをみつめる凝視のあと、「リオ・ね〜」という挨拶と笑顔が返ってくる。お互いにアジアの顔。Pがつれていってくれたシナカンタン村の伝統機織の実演販売をやる女系家族のおばあさんは我々の顔をじっとみて言ったそうだ。「ほう、日本人かね。ひとりくらい婿に置いていって欲しいね。結婚してみたいよ。」

<自立する教会>
日曜だった。シナカンタン村の教会では、先住民系の顔の若い説教師が前に立って、スペイン語ではないことばで説教と集会の最中。次に訪れた隣のチャムーラ村の教会では、香りのよい松葉をしきつめられた床のあちこち、壁際の聖人像や聖画の前あちこちに無数の蝋燭がともされて、村人がてんでにしゃがみこみ、ねっころがり、家族連れで弁当を食べたり、祈ったり、八百万(やおよろず)の神、百の地蔵、無数の菩薩がひしめく日本の神仏習合系の古い寺の雰囲気。もっとも、ネオンちかちかの十字架や、安っぽい電子音の聖歌つきマリアさまなどもあって、16世紀のものらしい古い教会堂建築の中は、ともかくシュールな別世界。先の清水氏の本にも出てくるが、この教会は、有力者支配を打破しようと革新的な説教を始めたカトリック教会の聖職者たちを村人たちが逆に追い出し、ローマから独立して、村で自立して独自に運営されているという。我々から入村料をとり、独自の村法廷をもって、「不倫」の夫を禁固にし、「不倫」の妻に市場と公衆便所の掃除をさせるというこの村は、サパティスタ支持ではないが、有力者主導の先住民自治区なのだ。もしかすると、20世紀初め、「農民に土地を!」と叫んで蜂起し、メキシコ革命を主導しながら殺されたサパタと、当時のサパティスタ(サパタ主義者)たちの闘い以来、メキシコ「合州国」には、強力な地方自治、地域共同体自治の伝統があって、先住民自治、やれるもんならやってみろ、という雰囲気があるのかもしれない。

<土地を失った先住民たち>
サン・クリストバル・デ・ラス・カサスの古い教会そばの広場には、どこから現れたか、あの黒い巻スカートのおばあさんたちでごったがえす先住民の民芸品、土産物市場がある。たたみ半畳ほどでも広場に売り場を持てるのは恵まれたほうで、大きな荷物を風呂敷のようなものに入れて担ぎ、道行く観光客や入り口近くのレストランに座る客に、「きれいなひざかけだよ、たったの10ペソ!この人形はどう?たったの5ペソ!」と売り歩く裸足の先住民のおばあさんや子供も多い。「リオ・て〜!」と挨拶をするが通じない。物売り口上が返ってくる。頭がすっかりスペイン語に切り替わっていて、観光客が先住民の挨拶をするはずはないということか。人を、財布をもつ機械のように見る無表情な都会人の眼。村の先住民とは大きな違い。メキシコ・シティと、はるか東京の雑踏を思い出してぞっとする。この物売りの先住民の人々は、村の土地を追い出された人々の住む、あの町外れ、川向こうの新村からくるではないだろうか。…

<先住民族の未来>
出発日の朝、その市場に面した一角にある、サパティスタ支援のNGOオフィスを数名の学生と訪れた。前日訪れた自治区のことなどもっと聞いてみたかったのだ。そのNGOは自治区の開発計画などを支援しているという。「その地区のことかどうかは知らないけど、輸出向け切花栽培をやってるところがあるのは知ってるわ。」と若い女性スタッフ。「グローバル化に反対するサパティスタの自治区が輸出向け生産をするのは変じゃないかな、という議論を学生たちとしていたもので。…」スペイン語しか話さない最初の女性にかわって2階から降りてきて対応してくれた流暢な英語をしゃべる彼女は、そんな私のおずおず発言に、ニコッとしながら答える。「OK。自治区に住む人が全員サパティスタというわけじゃないの。切花生産をやると、水を大量に使うので、村の水がなくなり、切花生産をしない村の貧しい人々の水がなくなってしまうの。私達は、何を作ろうと自由だけど、貧しい村人にも水だけは残そう、という提案をしているわ。デリケートなむずかしい問題ね。ちょうど今問題になってるの。」普通は3つの家族で協同組合を作ってお金を出し合い、切花を売って、ついにはトヨタの軽トラックを買って、州都まで出荷しているよ、肥料は有機だけど殺虫剤は使ってるんじゃないかな、というPさんの説明を思い出す。

<先住民のためのメキシコ政府>
「もちろん自治区から輸出もしているわ。オーガニック・コーヒーに、民芸品は特に力を入れている。」と付け加える彼女。「工業のプロジェクトはあります?」と聞けば、「ないわ。私達はみんなカンペシーノ、そう、農民なの。」
 「自治区が生き延びて、経済的に自立していける展望は?」という決定的な質問をしなかったのは大失敗。首都の活動家学生C君たちの焦眉の研究課題。  「世界は、ここの問題を忘れているように見えるけど、平和協定を守れ、先住民の権利を守れ、という国際世論を起こすことが大事なのかしら?」という質問には、「平和協定は何より大事だけど、政府は、先住民の権利を守ってるつもりでしょうね。政府は、先住民のためのNGOをいっぱい作り、どんどんお金を流し、そのお金が武器になって反サパティスタ武装組織に流れているの。ほんとうに、そんなNGOがいっぱいできたわ。」

<兵糧攻め…支える人々>
「政府は、先住民について別のビジョンをもっているのかしら。グローバル化を進めて先住民が農産物をどんどん輸出すれば、みんなが豊かになれるっていうふうに。」と水を向ければ、「そうね。私は政府じゃないのでわかんないけど。」と彼女。先住民自治区を政府のお金を注ぎ込んだ自治体やNGOで包囲し、先住民どうしを争わせながら、着々と、密林の森林資源やこの地域にもあるらしい石油開発への布石を打つ。・・・政府側のこんな反サパティスタ戦略が浮かび上がってくるような。
 その前夜、先住民村を訪れた日の夕方、町の大聖堂前の広場で行われた、地元NGO主催の国際女性デーの集会に顔をだした。宿から少し歩いたところにある食事をするつもりで入ったちょっとすてきなカフェが、実は女性人権団体のセンターでもあり、そこのステキなおばさまが、集会を知らせるポスターをくれ、チェックしておいたのだ。椅子を並べた真中の仮設舞台の両脇にテントが張られ、NGOの出店が2つずつ並ぶ。避妊具を並べた性的権利のNGO、とうもろこしスープを売る先住民女性の人権NGO、テントからはみ出して「ユートピアを求めて」というマルクスの似顔絵入りの新聞を売る学生団体、マヤの民芸品を売る女性の健康NGO、そして女性の日Tシャツ、から目だし帽の覆面人形、自治区の蜂蜜やコーヒー、民芸品や音楽CDなどサパティスタ・グッズを売る先住民のおばさんの店。ジャケットに、楽器をもつメンバーが目だし帽や、鼻から下をハンカチのようなので三角に覆った、覆面バンドの写真のある冒頭の音楽CDは、50ペソ(500円くらい)はたいてここで買ったのだ。
 舞台の音楽が、フォルクローレ・グループから、キューバの歌、おばさんフォークシンガーの熱唱へと進み、あたりが暗くなってくるほどに、足を止めて取り巻き、椅子に座る客も増え、女性グループのコントが始まる。女性の苦難を表現するかなりの水準の創作バレエが出る。寸劇が出る。州都の人権団体の人々による不当逮捕・拷問への、訥々とした抗議と支援の訴え。…
 なるほど「反政府ゲリラ」サパティスタは、こんなふうにおおっぴらな市民集会に溶けこんで、この国の人権運動に支えられているようにも見える。

<サパティスタ民族解放軍首都事務所>
首都に戻り、午後便のアメリカ経由で帰国までの時間に、先述の支援NGOで聞いた住所をたよりに、ずばり政治・軍事組織としてのサパティスタ民族解放軍(EZLN: Ejercito Zapatista de Liberacion Nacional) の首都事務所を訪ねた。とにかく充実しているというホームページのほかに、2つほどあげてくれたお勧めビデオを購入するためだ。
 事務所は、地下鉄駅から少し歩いたところの横丁、普通の通りのならびだが、1、2階部分にけばけばと絵を塗りたくってある。大きな観音開きドアをあけて入るとちょっとしたホールがカフェのようになっている。そのホールの奥に売店。おなじみの目だし帽覆面ブランドのTシャツから人形、蜂蜜、コーヒー、民芸品、ビデオにCD、図書の品揃えも充実している。人の良さそうなお兄さんが、ドル払いは勘弁してと言いながら、ペソが足らず、CD版にするか、VHS版にするか悩む私にいろいろ相談にのってくれる。同行の学生は、「こうやって、普通に町に溶けこんでるって、不思議!」と言いつつ、ゲリラの生写真やバッジなどのグッズを購入。お買い物ビニール袋にそれぞれのグッズを入れてもらい、宿に向かう私たち。

<首都の安宿…それぞれのメキシコ>
日本人が経営し、といっても関西弁のメキシコ人の奥さんが切り盛りし、日本人しか泊めないらしい首都の安宿。ここに15人で通産一週間以上も滞在した。
 プロボクサーをめざしてこっちのジムに通う女性。日本で半年メキシコで半年のプロレス試合をこなし、メキシコの高度な技を身に付けたいという日本のプロ団体所属、大卒数年目の若手レスラー。こちらのチーム入りを目指すサッカー選手。…この辺が長期ビジネス滞在の第1グループ。
 保険会社を定年退職後、女房子どもを置いてひとりで世界を放浪し、もう旅にも飽きてきました、それにしてもパレスチナ自治区にいくと、やっぱりイスラエルはひどいもんだとわかりました、などと神妙につぶやく北海道の熟年男性。我々が到着の夜、「まあ飲め」と酒をふるまい、自らも大酒、深夜まで私達をつかまえて法政の校歌など放歌高吟、ガルシア・マルケスの小説を感じるために来たとうそぶく、四国の離島からきたという文学じいさん(同室の若者に説教されたそうで、翌日からは火が消えたようで気の毒)。十年勤めた看護士をやめて旅に出て半年、ペルー、アメリカと流れてきて、なにかおもしろい仕事ないかな、なんて、という妙に色気を感じさせる女性。NGOなんてみんないんちき、こっちの学生は低レベル、サパティスタのところに集まるのはエキセントリックな近づきたくない人ばっかり、みんなぶっこわすためにエリートになってやろうかしら、となんだか暗い気炎の危なっかしい留学生。…この辺は長期放浪一時滞在の第2グループ。
 あとは、ほとんどが『地球の歩き方』片手のかわいらしい大学生。多くはいわゆる卒業旅行の4年生。人口が多いので、宿のホールはちょっとした学生食堂。首都でいちばん危険な地下鉄駅の裏、頑丈な鉄格子で守られた宿の中の日本。

<シェアリングで語りあったこと>
その安宿の、私を含む男の子の六人部屋で、何度もシェアリングを。…シンナーを吸うストリート・チルドレン(いつのまにストチルという略語が定着)の姿は、たばこを吸う私たちといっしょかも。いや、酒、テレビゲーム、テレビだって。町に出てきて、ひとりの世界に浸って、ひたすらお金を巻き上げられていく人間。こんな俺達がストチルと比べて健全だなんて言えるか。NGOの人がやろうとしてるのは、自分の体を壊して行く中毒の道につながらないような、新しい人間関係を作ること。…考えて見ると、自然の大地から切り離された、都市の人間の暮らし方が、ストチルや、ひとりぼっち人間のいろんな中毒を生むのかも。あのNGOが、田舎にストチルのための協同農場をもってるっていうにはおもしろいね。…ストリート暮らしはしてないけど、渋谷あたりをうろつく危ない感じの日本のストチル、新宿やあちこちのホームレス、っていうか熟年ストチルのこともなにかできないかしら。…

<自然の大地と人間との結びつき>
先住民の村、織物実演販売の所、すげえいやだったな、とT君。いかにも観光客向けに自分達の暮らしをお金で売っていて、ぼくらがそれに荷担して、お金払ってるのもいや。…ばあさんなんかは、すごく自分達の文化に誇りを持ってる感じで、日本の男と結婚したい、なんていってたけどね。でも確かに、やたらとセールスに熱心なおばさんもいたね。ああいう人がもうけたお金でモダンなものを買いまくり、やっぱ、ロンドン、パリ、ニューヨーク一番なんて価値観を持つようになると、村の文化は壊れるね。…ほんとうにお互いの文化を尊重しあえるような観光っていうか、交流はできないものかしら。NGOとかでやる交流会とかはそういうのあるけどね。
 それにしてもサパティスタの自治区って、どうなるんだろう。金持ちと貧乏人に分かれてけんかをして内部崩壊?全体がジリ貧?世界の人々の応援を受けて、エコロジカルでハイテクな楽園に変身?…ぼくにも妙案はない。自然の大地と人間との結びつきがずたずたになって、お金や武器やいろんなものの中毒にはまり、かなりストチル的にばらばらになってお金を巻き上げられるばかりの文明人の暮らし方全体を変えることを考えるしかない。なあに、こんな文明だって建物といっしょで、人間が作ったものなら、設計を考えて、人間がリフォームしちゃえばいい。ストチルの立ち直りといっしょで、新しい人間関係の中で楽しめるものをつくりだすのが大事かも。先住民も含めて、地球と向き合う世界中の人々の新しい関係。3つの約束はやっぱり大事かも。ひとりで閉じこもってヤクをやらない、暴力厳禁、始めた人生をいっしょに最後まで楽しむ!

(2005年3月20日)