● ほわほわのサパティスタ讃歌 ● <<前半>>

―2005年春メキシコ先住民とストリート・チルドレンの旅―


<ほわほわの歌>
「そうそう、最後のやつ。」携帯CDプレイヤーを取り巻くみんなが一瞬静まる。…。期待をこめて見守る宙の一点にギターの最初の和音が飛び出す。ほわっと弾けて流れ出す音の流れに一同大爆笑。「え、これも?」「これじゃ牧場じゃん。」「全部これなのかしら。」「ひねりっていうか、影っていうか、薬味がないね。」「いい人たちなんだよ。」「イムノ・サパティスタ(Himno Zapatista)っていうくらいだから、直訳すればサパティスタ讃歌。革命歌っていうか、革命軍歌っていうか、先住民自治区の革命政府の国歌みたいなもののはずなんだけど。」と私。日本国外務省の海外危険情報に出てくる「反政府ゲリラ」サパティスタの音楽のあまりのほんわかほわほわ。ずいぶん失望しながらも、私も、学生たちも、ますますこの先住民ゲリラたちへの興味をかきたてられていく。世界最大と言われる2,000万都市メキシコ・シティーで見た地獄。田舎の観光都市のレストランにまで入りこんできて、店主に追い立てられながら、大きな荷物をかかえて民芸品を売りつけようとする、伝統衣装を着た先住民おばあさんの大きな裸足の足。…同行学生リーダーのRやYが言う「予想外に発展してしまっていて、がっかり」のメキシコ、それにもしかすると、都市の地下道や公園にホームレスの中高年を並べ、人口減少の田舎で人の住まぬ古い家が次々と自壊する日本に住む私たちにとっても、未来への希望は、このゲリラたちの歩む方向の彼方にあるかもしれないのだ。

<ゼミ研修旅行…>
四年生のリーダーRの発案で行き先はメキシコに決まったものの、最後まですったもんだのあげく、日程がほぼ決まったのは出発当日。ストリート・チルドレン対策のNGO訪問、向こうの大学生との交流、先住民関係NGOの訪問という3つの柱をもつゼミ研修旅行の形がなんとか整う。出発前日いや当日の朝まで私自身が向こうの大学やNGOとメールのやりとりをやるはめに。卒論をかかえた四年生にまかせっきりにしたばかりに。それでも滞在2週間で全費用がほぼ15万円という激安航空券プラス宿の手配、NGOとの連絡など、Rたちの努力は激賞もの。参加者は私を含めて15名。RやYそれに私つながりで、ゼミ生より他学部、他大生のほうが多い男女ほぼ同数。Rの発案で、毎日2名の日直が食事の手配などを仕切り、日誌をつける。オープン・ゼミのようなもので、いろんな専攻の学生たちが、夜のシェアリング(感動や疑問を参加者全員でシェアするためのゼミ研修旅行恒例の話し合い)で意見をぶっつけあうのは壮観。新鮮な感動を語り合う若者たちの美しさ。

<シティの地獄>
拳銃強盗から白昼レイプ、誘拐に切り裂き強盗、日本国外務省危険情報によるとありとあらゆる凶悪犯がうごめいているはずのメキシコ・シティ繁華街の路上。こっちはおっかなびっくりひたすら専門家ワーカーのお兄さんの後を追う。ストリート・チルドレンに声をかけ、信頼を得ながら、デイ・センターに誘い、やがてストリート生活を離れて、施設に入って教育を身につけ仕事を得て、自立できるように援助するのが彼の役目。バスと地下鉄を乗り継いで、あっちのポイント、こっちのポイントと歩き回り、その日は、朝からメキシコ流の遅めの昼食まで5時間も歩きっぱなしの重労働。地下鉄駅裏、ハイウェイの高架下、国会議事堂前、麻薬売りが現れるという広場、劇場、市場、…メキシコ市内観光の名所をストリート・チルドレン探しで、いわば裏から放浪したおかげで、自分の体がシティのストリートになじんで溶けこんでくるのを感じる。こんなふうに都市を歩いたことは日本でもない。シティの路上は決して無法な犯罪者の巣窟というだけではない。露店や屋台、そこで散歩や仕事をする普通の人々の生活がある。しかしそこにはあっちこっちに路上生活の子供たちがいて、その子供たちの生活はそのまま地獄に通じている。…

<ゴミ山のボロ靴が突然動く…>
「ちょっとここで待っていて。」ワーカーのお兄さんが、以前からデイ・センターに誘っている子供を捜しにいく。そこは地下鉄の地上出口。露店のタコス屋、ジュース屋、新聞売りのほかはがらんとして吐かれた唾で汚れたコンクリートの床。ワーカーが消える前に何かしゃべり、私たちも挨拶だけした中学生くらいに見えるぼろを着た路上暮らしの男の子。何やらつぶやきながらこっちを見ていたが、すぐに消えてしまい、通訳で頼んだメキシコ人学生Mとこっちの参加者Y(どちらも女性)と3人で所在なげにあたりを見回しながら待つ。地下鉄の排気口の陰のあたりにビニールシートをかけた汚らしいゴミ山がある。と思えば、シートの端からはみ出た大きなボロ靴が突然動き出す。それはストリート生活者の寝床だったのだ。やがてぼろを着た若い男女二人が現れる。黒いジーンズに白いTシャツの女性は、Tシャツが黒い手形でひどく汚れ、顔も汚れで黒ずんでいることをのぞけば、前日交流したこっちの大学生と変わらない。いつの間に現れた最初のストリートの子供となにやらしゃべりながら、突然の遭遇に緊張する私たちめがけて近づいてくる。

<路上生活15年>
と思ったのは勘違いで、彼女は、帰ってきたワーカーのお兄さんを見つけて、近寄ってきたのだった。やがて後ろから、大柄な先住民系の顔の若い男性のほうも近づいてくる。こっちのほうは、目が据わって、どうも目つきがおかしい。手でこぶしを握っている。・・・ワーカーがいきなり殴られた場合、MとYを守ってどう闘うか、一瞬、間合いをとって戦闘準備。ワーカーのお兄さんが、女性のほうに声をかける。男性が接近。女性は、にこっとして、男性に声を・・・。そのとたんに、男性の顔が融け、目つきは穏やかに、大柄だが素朴な若者に一変する。手のこぶしには、シンナーを染み込ませたティッシュが入っていたのだ。最初の目つきは幻覚のせいか。時おり、こぶしのシンナーを吸い込みながらなごやかな談笑。私たちも紹介され、汚れのしみついた真っ黒な手と握手。女性とワーカーが話しているうちに、男性は、タコスの露店のおじさんたちとも挨拶をし、にこやかに話しながらなにやら食べ物をもらっている。子供たちは、路上でちょっとしたお手伝いをして、食べ物をもらう、という工藤律子さんのストリート・チルドレンの本のくだりを思い出す。

<ゆれるビニールシート>
その場を去って、高速道路の高架下を歩きながら、彼女のことを聞いた。現在25歳。義父にレイプされ、繰り返し暴力を振るわれたことがもとで、ずいぶん小さいときに家を出て、路上へ。彼女には、路上で生まれた1歳の子供もいるが、いまは彼女の母親が育てているという。今は春だが朝晩の冷え込みは厳しい。後に会った路上の子供は、夜が寒いから寒さを忘れるためにシンナーを吸うと言った。左手のこぶしを時おり吸いながら話す彼女。10歳で路上に出たとすれば路上生活15年。素朴な大男のパートナーとシンナーを吸って過ごす15年めのメキシコ・シティー冬の夜。・・・地獄の情景、その1だ。
 少し歩いた高架のコンクリート柱の下に、ビニールシートが斜めに立てかけてある。と思えば、ワーカーのお兄さんは、それを見て「ほら、見て!子供だ!」と叫ぶ。私たちを待たせ、道路を渡って、ビニールシートをひっぺがし、下の子供となにやら話し込む。しばらく後に帰ってくると、「いまは幻覚中であぶないから近寄らないほうがいい。いこう。」と。コカインを精製したカスのカスを手にいれて、金属パイプにつめて吸っているのだという。これをやりだすと、幻覚がひどく、食事もとらなくなるので、がりがりにやせてしまい、とても危険なんだ、と。振り返って赤・青・白の縞模様のビニールシートを見れば、ごそごそと揺れている。やがて中学生くらいのやせたぼろを着た、なるほどがりがりにやせた少年が這い出してきて、あっちのほうへ歩いていく。・・・地獄の情景、その2。

<ロータリーの芝生の子供たち>
地下鉄を乗り継いで、地上へ。片側四車線はある巨大な幹線道路の十字路の真ん中にある記念碑つきの芝生地帯。10人以上になりそうなぼろを着た路上の子供たち。輪になって陽光を浴びたり、あちこちで取っ組み合ってじゃれあったり。女の子らしき姿も見える。ワーカーのお兄さんは、そこへ乗り込んでいって、なにやら話すと、小学校中学年くらいの賢そうな少年と連れ立ってこっちに戻ってくる。ワーカーは、その少年を私達に紹介して挨拶した後、デイ・センターにくる約束をして別れる。そのとき、地下鉄排気口横の塀の下から、地から湧いたように、毛布をかぶったすばらしく汚らしい少年が登場。先の少年に声をかけられて、ワーカーや私たちのほうにふらつきながらやってくる。左手のこぶしにはやはりシンナーのティッシュ。ワーカーのお兄さんがいろいろ話しかける。あとで聞けば、ワーカーもこの少年とは初めての出会いだったという。大柄で中学生くらいに見える男の子。ワーカーの提示した路上遊び3つのルール(@遊びの間は、シンナーなど薬物をやらない。A言葉によるものも含めて暴力厳禁。Bやりはじめた遊びは最後までやる。)に納得したらしく、一度排気口の当たりに引っ込んだかと思えば、再び現れてついてくる。

<路上遊び>
地下鉄出口から少し歩いた駐車場の横、歩道の上が遊び場だ。少年と握手し、名前だけ自己紹介した後、ワーカーにしたがってわれわれ3人もそのまま地べたに腰を下ろす。少年は、にこにこしながら肩にかけてあった毛布を地べたに敷き、その下にシンナーのティッシュを隠すと、われわれといっしょに座りこむ。ズボンの前「社会の窓」が開いている。靴はなく白い靴下だけ履いているが、くるぶしのあたりまで泥水につかって乾いたような痕。乾いた季節のせいか、臭いはない。…その前のポイント、地下鉄の駅裏広場で別の子どもと路上遊びを経験済みのわれわれは、ワーカーがリュックから出した、「チャンギート(小猿)」というプラスチック製のゲームをすばやく組みたてる。穴のたくさんあいた筒に棒を刺しこみ、上からしっぽの長いプラスチック製小猿たちを注ぐと、しっぽなどが棒にひっかかり、小猿は下に落ちない。順番に棒を引っ張り出しながらも、小猿を下に落っことさなかったものが勝ち、という単純なもの。子供も含めて5人でキャッキャッとやると、スリルもあってなかなか楽しめる。汚れで真っ黒になった手の少年がさいころを握り締める目が輝く。さいころの面は色違いになっていて、やはり色違いになった棒のどれを引っ張り出すかは、さいころの面の色で決まるのだ。近くでバスを降りる通行人の不思議そうな目も気にならず、私達は3回繰り返して遊んだ。3回目が終わるころ、少年は、毛布の下をごそごそやり始める。ワーカーがなにやら話しかけるが、少年はシンナー入りのティッシュを探し当てると、こぶしに入れて口元へ。最初にみた時のとろんとした目つき。…少年にとって最初の路上遊びも終りのときだ。すばやくゲームを片付けて、少年と挨拶をし、次のポイントへ向かう。こうやって、薬物ではない世界で生きる楽しさを経験させ、98%の子どもが薬物依存という子どもの路上生活から脱するきっかけを与えるという。それにしても、路上の子どもの多さに比べて、なんと手間のかかることか。振りかえってみると、ふらふらと毛布をひきずる少年の向こうに、芝生の子どもたちが見える。…地獄の情景その3。

<なぜ路上へ?>
NGO事務所では、路上へ出たり、デイ・センターで子どもたちと遊んだりする前に、ビデオとパワーポイントを使った説明があった。子どもが路上生活をするようになる理由は、@家族の崩壊、A家族をとりまく地域コミュニティの崩壊、B貧困、の3つだという。メキシコ・シティの路上の子どもに関する統計はないが、推計では、数千人いて、田舎から流入するシティのじんこうが増えるとともに毎年7%くらいの割合で増えているという。ワーカーたちがいくらがんばっても、焼け石に水。…実地見学・ボランティアのあとのNGO職員を交えた反省会で、以前、ストリート・チルドレン問題を研究していた院生の研究のことを鮮明に思い出しながら、質問した。「フィリピンでは、コミュニティぐるみの対策をやろうという話がでているけど、子どもがいる路上の露店の人、住民、役所の福祉関係者やNGOが連携してコミュニティ全体で子どものめんどうを見ていくというふうにはできないのかしら? 今はNGOがつり竿で一本釣りだけど、網でごそっ、というふうに。」

<どうして政府は取り組まないのですか?>
「もしフィリピンでうまくいっているのなら、私達もその成果を勉強したい。ほかのNGOとは連携をもっているけど、ここでは役所や住民組織と連携することはとてもむずかしい。」そのNGO職員でただひとり、流暢な英語をしゃべる色白の若い女性スタッフの答えに、さらに経済学部のT君が質問を浴びせる。「どうしてメキシコの政府は、こんな大事な問題に取り組まないのですか?」
 女性スタッフの顔は一瞬顔を曇らせ、次に苦笑いから転じたすてきな微笑をたたえながらはっきりと答えた。「メキシコの政府が、貧しい国民のことを考えたことはありません。金持ちと有力者のためだけの政治です。大統領が変わっても政治は変わりませんでした。今度の選挙でまた大統領が変わっても、やはり政府は変わらないでしょう。…」

<メキシコ国立自治大学>
首都にある最高学府の大学生たちとの交流会では、次の四点について自分の意見を述べ、討論しあうことになっていた。@私が今やってること。日々の暮らしの中での悦び、怒り、悲しみ。将来やりたいこと。A自分の国の政府について思うこと。Bイラクやパレスチナでの戦争、いわゆるグローバル化や地球環境問題について思うこと。C人類のより良い未来のために自分がやってること。  第1回目は、国際関係学科の学生と英語で、数日後の2回目は日本語クラスの学生と日本語で。…というわけで、特に英語討論の前夜は、シェアリングのあと小人数に分かれて予行演習と英作文でおおわらわ。…実際には、両日とも向こうの教員たちがこの四点にこだわらず、自由な討論設定をしてくれたおかげで、学生諸君がむずかしい議論で頭を悩ますことはなかったようだ。それでも、ある学生が、前夜の準備の成果を生かして、「私にとって、政府も政治も、まるでテレビのショーのようで、身近なものに感じられないの。」と発言すれば、彼女を取り巻く5人のメキシコ人学生たちが多いに賛同。「まったくそのとおり!メキシコでも、政治は遠くで勝手に演じられるショーだ!政治も政府も、自分たちのものではないんだ!」と、叫びだしたとか。

<世界若者運動の学生たち>
国際関係学科の学生の何人かは、午前中の交流会の後も我々の大学見学、市内見学につきあってくれる。最後は、スペイン植民地時代の町並みの残る地区のしゃれた喫茶店で、一杯200円はするコーヒーなどをすすりながら四方山話。道端の屋台のタコスなら200円(20ペソ)も出せば、肉のつまったタコスを10切れ平らげて、十分に昼飯になるほどの値段。ここの学生って、けっこう金持ち、とみんなの食事代のやりくり担当の日直たちがため息。…これから先住民の多く住むチアパス州に行く、という話になると、目の前のメキシコの女子学生Cが、いいところだけど、ジャングルではマラリアに気をつけてね、私もかかって大変だったから、という。聞けば、サパティスタによる先住民蜂起のあと、応援しに先住民自治区に3回ほど行ったことがあるという。「…人々はたしかにエコロジカルな暮らしをしているけど、ほんとうに何もないという意味で、プリミティブな暮らしなの。」「そんな先住民の暮らしも含めて、お互いに応援しあいながら、エコロジカルに、それぞれの地域で自立して暮らしていけるにしようというという運動はないのかしら?」

<ほんとうのフェア・トレード>
Cは、「いっぱいあるわ。そうだ、今度の週末にそういうキャンプがあるけど、参加したらいいわよ」と、メモに次々といろんな団体のホームページのURLを書き出してくれる。Cを含めて、その喫茶店にまでつきあってくれたメキシコ側女子学生たちはみんな、これからの地球の未来を支える若者よ、国境を超えて、エコロジーと平和のための価値観を共有しあえるようにつながろう!というHP(後で宿の側のネットカフェでチェック)をもつ、世界若者運動という感じのかなり大規模なNGOにかかわっていた、というか、メキシコ・サイドの中心メンバーだったようだ。…Cは言う。「あなたの言うとおり、エコロジカルとか、地域自立とかいうけど、実際は、いろいろむずかしい。私が飲んでるこのコーヒーだって、オーガニックで、フェアトレード商品ということになっているけど、私達は、オーガニックではあるけど、フェアトレードじゃないって、批判してるの。この協同組合は、最初の理想はよかったけれど、いまじゃ、先住民や労働者を搾取しているの。だからいつもはこれは飲まないのよね。うふ。」

<ボーイフレンド>
ちょっと待って、と言いながら、ケータイを取り出したCは、ずいぶん長く話しこんだあとで「いま、私のボーイフレンドを呼んだから、もうじき来るわ。彼は、エコロジカルで持続可能な開発政策の研究をしているの。」と。
 自転車用のヘルメットをかかえて現れたカレは、大気汚染で有名なシティをいつも自転車で移動しているというやさ男系いけ面。聞けば、行動的で有名な世界的環境団体グリーンピースのメキシコ代表などもやったことがあるという筋金入りの活動家。今は、Cたちの若者運動をやりながら、大学院で勉強しているという。…いろいろ話に花を咲かせるうちに、そして後に、インターネットで調べるほどに、メキシコの環境運動の中に、先住民の文化や価値観を尊重しながら、その中のエコロジカルな価値観を取り入れ、同時に風力発電などの最先端のエネルギー技術などを組み合わせて、コミュニティ作りをしようという流れがあることがわかってくる。実際に何人かが住みこんでいる実験コミュニティまであって、滞在も可能。…とはいえ日程上の都合などで今回は断念。

<完璧な町、クエルナバカ>
メキシコでいちばん先住民が多く住む州、チアパスに飛行機で飛ぶ前に、シティからバスで2時間足らずの、隣の州の町を訪れた。ストリート・チルドレンのNGO訪問で通訳をやってくれた、この町に住む日本人学生に言わせれば、「安全で、美しく、気候がよく、夜中サルサが踊れる、完璧な町」。なるほど、メキシコ・シティのある高原のはずれから、雄大な下界を見下ろしながら、ハイウェイで山を下っていった斜面にあるスペイン時代の雰囲気を残す小さく美しい町。彼のメキシコ人のスペイン語の先生は、ぜひ学生を連れてスペイン語を学びに来てくれ、特別価格にするし、と誘う。別荘が3つもあるけど、日本は高くてまだ旅行できるほどのお金がたまらない、という30歳代のその先生の父親は、1980年代の大地震のときに首都から移住してきたという。この町は、犯罪の危険があり、大気汚染のひどい首都の喧騒を逃れたお金持ちの住宅地としても、近年注目されているらしい。なるほど、子どもを含むホームレスや物乞いの姿も見あたらない。スペイン人のメキシコ征服者が住んだという館をいただく、スペイン風植民都市、小金持ちのメキシコ。


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