2.防災プロジェクト(中間報告)
目的 | 楽しく充実したキャンパスライフを過ごすためには自分の身の安全を確保することは絶対条件である。学生や学校側に高い防災意識を芽生えさせ、災害が起こる前に防ぎ、起こったとしてもすばやく対処できるような防災知識を植えつけ、よりよいキャンパスライフの手助けをすることがこのプロジェクトの目的である。 |
メンバー | 廣瀬 悠介・脇坂・池野・西尾 |
経過 | ――5月―― プロジェクト立ち上げ → 防災訓練を実施するために社会学部事務室に実施可能か質問に行く。 → 講義時間内の実施は不可能という返答。講義時間外では人がほとんどいないため実施ができたとしても効果が望めない。 → 形として防災を示すものを残すためにまずは防災マニュアルの作成を決定。資料集め、調査を開始。 ――6月―― 総務課に社会学部棟の防災・消火設備の質問に行く。 → 一般的な法で定められた設備のみで特別な設備はないという返答。 → 実際に学部棟を回り、防災設備や危険な点や注意すべき点を細かくチェックしていった。 ――7月―― 防災マニュアルの作成とともに防災ビデオの作成をするために表現実習用のカメラを借り使用方法を教えてもらうために事務室に行くが、講習期間外であるため借りることができなかった。 → ひとまず防災マニュアルを作成するために資料集めをし、また防災ビデオは、カメラを手に入れてからすぐに撮影できるように、さらに細かく防災上の注意点を学部棟内で探した。 ――8月―― 各自資料集め。 ――9月―― 防災マニュアル完成。 |
周囲の変化 | 現在のところ、周囲の変化は感じられない。質問をしに行った時も、こちらのしたいことがわかってもそれに賛同してくれる様子もなく、こちらから積極的な態度を示してもそれを受け入れる可能性すら感じなかった。防災をしなくてはいけないとは思っていても、何か事が起こらない限り、なかなか面倒なことなのかもしれない。しかし、その態度をこちら側から変える事ができなければプロジェクトの真の目的は達成されない。すぐにではなくても変わるきっかけは作らなくてはいけない。作成した防災マニュアルを通してどこまでアピールできるかが課題である。また、確実に迫っている大災害に対して防災意識の向上は国民的課題であり、自然と関心が高まり周囲も変化すると考えられる。 |
自分たちの変化 | ――廣瀬―― 防災について自分では色々知っているつもりだったが、ほとんど何も知らないことに気付いた。また、防災マニュアルというものを簡単に考えていたが、作成してみるとなかなか難しいものだった。簡単に書きすぎると、わかりやすいがあまり深いことまで書けずに、防災について考えてもらうまでに及ばない。逆に詳しく書こうとすると、まとめることができず長々としたわかりにくく読みづらいものになってしまう。今回作成したものは、意味を失わない程度にわかりやすく読みやすく書いたつもりなのでどこまで伝わるか分からないし、批判する点もたくさんあると思うが、学生の視点からの呼びかけの意味も込めて書いた。自分の中では、防災の意識は相当高いものになったし、多くの知識も得ることができた。最近また地震が増えてきているが、それに対しても敏感になっていることが自分でもわかる。また、学校内の安全性を改めて確認できたし、反対に、意識の低さや数少ない危険な点も知ることができた。防災意識は、生きていく上で必要なものだから、このプロジェクトで得たものは今後の人生でも生きてくると思う。 ――脇坂―― 今まで関心のなかった地震情報や台風情報に対しても、以前より注意して見るようになった。これだけでも防災意識においては大きな前進だと思う。意識だけでも防災になるので、災害に敏感になるのはとてもいい変化だ。大学の立地条件的にも、山火事等の大きな災害が起こる可能性のある多摩キャンパスでも、災害時に適切な対応ができるような知識もついたと思うし危険な場所を知っていることも重要なことだと思う。安心して大学生活を送れる。 ――池野―― 社会学部棟の非常階段の出口が二階にあったり、高い建物であるのに非常階段が二個で真ん中の階で火災があったら逃げられるだろうか、等の危険な点を認識しているだけでも、もしものことがあった時には大きな差だと思う。大学に通っている上で、その大学の事を知っているのは当然のことだが、まだまだ知らない箇所が多いことに改めて気付いたし、このプロジェクトがなければ知ることもなかったと思う。当たり前の事を改めて確認する事の大事さに気付いたし、自分の中で災害に対する見方も明らかに意識が高くなったと思う。 ――西尾―― 今回、防災プロジェクトを進めるにあたって、普段行ったことのない所にも足を運ぶ機会があった。期待したような防災の大きな穴を突き止めることはできなかったが、大学内部の防災に対する構造の意図が理解できた。より安心したキャンパスライフを送ることができるようになり、災害でも何でもかかってこいだ。 |
3.多摩活性化プロジェクトチーム(中間報告)
目的 | 1.大学内の自然を使ってのコラボレーションにより「多摩の自然っていいね!」と思わせる。 2.個人レベルではできない大きな企画を他団体との協力により実現させる。 |
メンバー | 篠塚 俊彦・渋谷 将洋・岡田 航・横倉 雅大・村山 朝和・宮本 雄大 |
経過 | ――5月一週――プロジェクト結成。
――5月3日―― 6月21・22・23日に円形芝生前で行われる多摩サークル連合主催の「多摩ロックフェスティバル04」にて「100メートル流しそうめん」を行う事を決定。 ――5月12日―― 学生生活課との交渉。この企画を行うにおいて、自分達の団体名を「岡野内ゼミ」とすると、管轄が社会学部事務室となり、その場合この企画の実行が難しくなるため、多摩サークル連合に名前を借り、サ連と連帯体制をとることを決定。サ連からの資金援助決定。以降毎週木曜昼休みに多摩ロック運営会議に出席。 ――5月18日――総合棟食堂に当日の調理を依頼。 ――5月27日―― 総合棟食堂に二回目の交渉。多摩ロックのパンフレットに広告を載せることで依頼成功。 ――6月3日―― 学生生活課にて、流しそうめんに使うための竹を切る許可申請。7日に切る許可を得る。 ――6月7日――雨のため竹伐採を明日に延期。 ――6月8日―― 学生生活課、庶務課と協力して、午後一時より竹伐採。一部の竹を割り、節を取る。 ――6月9日――全ての竹を割り、節も全て取り除く。 ――6月11日―― パンフレット関係書類(企画紹介ページ、総合棟食堂広告)提出。 ――6月14日――電動ドリルを使い、竹の接合のための穴をあける。 ――6月16日――円形芝生前にて仮コース作成。 ――6月19日――コース作成。 ――6月21日――当日。しかし台風によりコース崩壊。翌日に延期。 ――6月22日―― 朝7時よりコース復旧作業。午後1時より流しそうめん開始。計100人以上の動員に成功。 ――6月24日――片付け。多摩サークル連合に総括提出。 |
周囲の変化 | 多摩の活性化をはかる。というコンセプトであったので、対象は多摩のすべての学生に向けてであった。普段何気なく通っている学校でも、自分達で様々な活動を起こすことはできる。それにより、活動の自由度を再認識するというのも目的のひとつであった。今回の企画には多くの学生が参加してくれ、その人たちには強い印象を残し見事活性化できたと思う。食べてくれた人たちの笑顔を見て、やってよかったとつくづく思った。そしてその人たちが今度は自分たちで「何か企画を起こそう」と思うきっかけくらいにはなったのではないか。また、自分たち自身も、行動していく中で構内でのルールの中で模索しながら企画を運営するという立場に立ち、その難しさや、さまざまな団体などとの協力の大切さなどがわかった。 |
自分たちの変化 | ――岡田 航―― 最初、「100メートル流しそうめん」をみんなで企画したとき、正直「100メートルなんて無理だろ?せいぜい50メートルぐらいじゃないのか?」って思ったけど、結局、みんなで学生部に竹の伐採を頼みに行ったり(自分は行かなかったけど)、総合食堂にそうめんをゆでてくれるよう頼みに行ったりして、台風にも負けずコースを100メートル組んで、なんとか成功に至った。いやー、100メートル組みあがったときの円形芝生の景色は忘れられません。 自分はどう変わったか?と聞かれれば、特別すぐに実感できるものはなかなか思い当たらないけど、とりあえず、1日中コースを作っていたので日焼けはしました。あと、協力しあって、努力すれば、そこには結果がちゃんとでるって実感できたことですね。今までより粘り強く、成功に執着する力がついた気がします。あのときの写真を見返すと、今でも涙が出そうです。 ――渋谷 将洋―― 今回我々が行った「100m流しそうめん」は、多摩ロックという企画に便乗したこともあり、多くの人に参加してもらうことになり大成功に終わったといえると思う。この企画を行ったことで、我々のプロジェクトの目的である「多摩キャンパス活性化」につながったはずだ。多摩キャンパスは確かに周りで遊べるようなものは少ないかもしれないが、今回は多摩でなければ100m分の竹はこんなに容易く用意できなかっただろう。また、遊べるものが他にないからこそ誰かが楽しめるものを作り出せば、人が集まりやすく、何かイベントを起こすには最適な場所なのかもしれないと思った。 この企画は、自分にとっての大学生活では久しぶりに純粋に楽しめたものだった。何かひねくれて小難しいことを考えることもなく、単純にそうめんを流すことに快感を覚えることができたような気がした。そして、それをひとつの作品とすることで、終わった後の達成感も大いに得ることができた。また、企画をやりながら多くの人に助けられたことに感謝するとともに、改めて人の力の大きさを感じた。企画の成功はまさに、人々の協力のおかげだろう。 とりあえずこのプロジェクトは一段落ついたが、「多摩キャンパス活性化」の意識は常に持ち続けようと思う。やっぱり楽しいことがいいと思えるようになった、そうめんだった。 ――村山 朝和―― 多摩活性化プロジェクトの流しそうめん企画は思いのほか大盛況だった。自分は普段別の団体で多摩活性化を目指し動いているが、こんなに盛り上がっている企画を打てたことは今後の活動に役立つことだろう。このプロジェクトで、実際に行動してみることの重要さがわかってよかった。 ――宮本 雄大―― 流しそうめん企画は、多くの参加者と盛況の声を得ることができたので、多摩活性化という観点において成功したといえるのではないか。この活動を行ったことで自分自身に対する自身につながると同時に、プランを行動に移すことの重要性や大変さを実際に感じることができ、今後の活動にプラスとなる体験であった。 ――横倉 雅大―― 企画を立ち上げたときは、そうめんを100メートル流すなんて半分冗談のような感じで言ったんですが、実際にコースが完成しそうめんが流れた瞬間は、高校の文化祭のように大騒ぎでした。また当日も予想を大きく上回り、200人以上の人が食べにきてくれて驚きでした。新歓祭、多摩祭と何度か見てきましたが、多摩キャンパスであそこまで人を集めた企画は、ほかに類を見ないのでは、と我ながら思いました。多摩サークル連合所属サークルの一員なので、ゼミ以外でも今後多摩キャンの活性化にかかわることは多いので、そうしたときに今回の成功を活かしたいと思う。少し企画を打つことに自身がついたので非常によかった。 ――篠塚 俊彦―― 今回の企画は、ホントにやるのか?と最初思っていたような企画であったが、予想をはるかに上回る大成功に非常に満足です。運営するにあたっては、いろんな団体や関係者との交渉やミーティング、準備や大崩壊など困難もたくさんありましたが、それを打ち消すものができてよかったです。今回の企画で、やはり学生の自由な活動を自分こそ再認識できたと思います。学校は学生の力によりいくらでも楽しくなる。そのための権利を自分たちはもち、後は行動に移すだけだ!ということを強く感じられたと思います。そしてその自由な活動を可能にしてくれる多摩の広大なキャンパスをすばらしいと思いました。最後にこの企画に協力してくれた多摩サークル連合、学生生活課、総合棟食堂、たーくんゼミのみんな、そして食べに来てくれた人、すべての人の力のおかげで大成功を迎えられました。深く感謝します!ありがとう! |
4.多摩祭ゼミ研究発表会プロジェクト(前:国際問題について考えてみる)
目的 | このプロジェクトはそもそも、ほかのゼミが普段どんな研究をしているのかを見てみたいという単純な気持ちから始まりました。多摩キャンパスに通う法大生の多くの人がゼミに所属し、それに多くの時間を割く中で、その研究の成果や結果を外部の人に見せる機会があまりないことはとてももったいない気がしました。そこで、自分たちの研究を発表したり、ほかのゼミの発表を聞いたりすることを通して、ゼミ間の交流を図ろうという目的でこの発表会を企画しました。 またこの発表会を多摩祭において行うことで、今まで多摩祭に足を運んだことがない人たちを多摩祭に動員しようという狙いもありました。 |
メンバー | 浅見 尚貴・高橋 亮太・上田 将嗣・佐藤 慎吾・森井 道夫・松井 佳朗・西谷 美穂 藤本 亮 |
経過 | ●日時…10月29日 ●場所…現代福祉学部棟302教室 ●参加ゼミ…相田ゼミ・大アゼミ・岡野内ゼミ・原田ゼミ・舩橋ゼミ 西沢ゼミ(経済)・馬場ゼミ(現代福祉) この発表会を開こうと決めてから、1〜2週に一回のペースで、多摩キャンパスの全学部・全教授のもとに、今回の企画への参加を呼びかけるプリントを配布しました。また、実際に興味を持って連絡をくれたゼミの方々に、今回の企画の趣旨や目的を詳しく説明する場を定期的に設けました。 後期に入ると、参加を決めてくれたゼミの皆さんと、最終的な企画の打ち合わせを行うとともに、多摩祭に参加するための準備等を行いました。 そもそもこのプロジェクトは、イラク戦争等の国際問題に興味を持つ人間が集まって、とりあえず考えてみようというコンセプトで始まりました。しかし、このプロジェクトでイラク問題をテーマにしたシンポジウムを開催しようということになり、参加ゼミを募りました。しかし、各ゼミ自分たちのゼミ研究に忙しく、シンポジウムの準備が十分に出来ないのではないか、という意見が多かったので、最終的に、ゼミが普段研究している内容を相互に発表しあう場を作ろうということになりました。 コンセプトも決まったところで、6月・7月は参加するゼミを募りました。具体的には、毎週ゼミ研究発表会に関するレジュメを作り、多摩キャンパスの全教授のポストに投函したりしました。そして徐々に興味を持つゼミも増えてきたところで、2週に一度程度のペースで集まりを開きました。しかし、8月に入り夏休みになると集まることが難しくなるので、このプロジェクトの掲示板を作りました。 9月・10月は、この発表会のコンセプトを参加ゼミ間で共有化し、最終的なつめの話し合いを行うと同時に、学祭に参加するための手続きを始めました。 10月29日(金)、多摩祭一日目に、「ゼミ研究発表会」と称して、現代福祉学部棟302にて企画を開催しました。最終的には、岡野内ゼミ(エチオピア班)大崎ゼミ(社会)西沢ゼミ(経済)相田ゼミ(社会) 原田ゼミ(社会)船橋研究室(社会)馬場ゼミ(現代福祉)の合計7ゼミが参加してくれるとともに、各ゼミがそれぞれの研究を発表してくれました。 参加してくれたゼミの人たちとともに、まったくの外部の人たち、また教授の方々など、多くの方々が企画部屋を訪れてくれました。 |
周囲の変化 自分たちの変化 |
――浅見 尚貴―― 多摩キャンパスには、思ったよりもゼミ研究にまじめに取り組んでいる人が多いことが意外でした。各ゼミの発表もとても工夫されていて面白かったです。 また、このプロジェクトを行うことで、まめに動くということに慣れたというか、面倒なことを最後までやり遂げることが出来るようになったと思います。 ――藤本 亮―― 多摩祭の企画だったので、自分のサークルの企画の忙しく、あまり手伝うことが出来ませんでした。しかし、当初の予定よりも多くのゼミが参加してくれたので、何とか成功したと言えるのではないでしょうか。 ――上田 将嗣―― ゼミ発表会を終えて、社会学部、強いては多摩キャンパスと言う空間は、非常に行動・表現のしやすい環境が整っているなと実感しました。各々のやりたいようにできるということは、それだけ考える機会が増え、また可能性というものがあるのではないかと思います。これからも多種多様なイベントが生まれ、学生一人一人の好奇心が健全に満たせることが出来ればいいと思います。 ――西谷 美穂―― 実際にやってみて、準備が思っていたよりも大変だったことが印象的です。でも実際にやってみると、反響も観客も多く盛況だったので、本当にやってよかったと思いました。 ――高橋 亮太―― このプロジェクトを実行するに当たって最も強く感じたことは、周囲の人たちと協力していくことの大切さでした。最初のころは、全てのことを自分ひとりでやってしまおうという気持ちが出すぎて、空回りしてしまうという悪循環になっていました。しかしこの企画は、ゼミの中で今まで話したこともない人たちや、会ったこともない別のゼミの人たちの協力がなければ絶対に成功しないものでした。人を信頼して、その人にある程度のことを任せるというのは勇気の要ることですが、自分ひとりでは力が小さすぎました。わが岡野内ゼミ(特にエチオピアプロジェクト)の方々のは、本当に感謝しています。 周囲の変化といえるかは分かりませんが、単純に知り合いが増えました。どちらかというと人見知りなほうだったんですが、この企画を行うために勇気を振り絞っていろいろな人に声をかけてみると、自然と話せる人の絶対数が増えていきました。 ――森井 通夫―― 国際問題を考えるプロジェクトでは、多摩祭で各ゼミの研究発表の場を提供するということに途中から変更してしまったのですが、自分としてはパンフレット等を多摩キャンパスに発行するべく活動していたときが充実していたと思います。イラク拉致被害者の渡辺さんの講演も生々しく、実際の報道と違うようなことが起こっていたことに面白さを感じることができました。また自分からイラク戦争の本を読んだり、良かったです。 |
5.エチオピアプロジェクト(2004年度海外研修旅行)
テーマ | 飢餓・開発・人権・援助 |
概要 | 長期休暇を利用して行われる希望者によるゼミ旅行。主旨は「第3世界と友達になろう!」。先輩たちの企画したキューバ、ラオスに続いて、今度は私たちで事前に学び、交渉し、行って、出会い、学び、感じて、帰ってきて、また、それから考え続ける・・・そんな体験をするためのプログラム。 エチオピアを選んだきっかけは、先生の誘いではあるが、キューバではアメリカに経済封鎖された明るい国を学び、発展状態を少しさかのぼってラオスに行き、少数民族の比較的閉ざされた社会を見て、発展とは何かを考え始めた。中米、東南アジアという地域の違う場所を訪れながら、世界全体を考えてみたい。そこで、アフリカエチオピアは最もふさわしい時間と空間を持っていると感じる。 |
メンバー | 高橋 淑子・大塚 政範(須藤ゼミ)・木村 万里子・橋本 美由紀 |
経過 | エチオピアに関する情報探し、勉強会。「エチオピア紹介」作成。
――3月――エチオピア大使館アムハラ語講座(春休み中の毎週月曜日)。 ――4月――エチオピア大使館ダンス講座(毎週土曜日〜現在)。 ――5月―― 日比谷公園アフリカンフェスティバルエチオピアダンス発表会。 アフリカ大使夫人パーティーエチオピアブースでのエチオピア料理の販売手伝い。 ――6月30日―― 1972〜74年エチオピア第一陣青年海外協力隊天然痘監視員、内藤幸彦さん講演会。 ――7月――グループごとに研究テーマを決め、レポート作成(25日締切)。 ――7月28日――第二回勉強会(内藤さん)。 ――8月2日――人数分の航空券手配完了。 ――8月7日――エチオピア大使館でビザ申請。 ――8月25日―― 東京検疫所で黄熱病予防注射の摂取。 大日大使館を訪ねて最終ミーティング、大使への質問、語学講習、ビザ・パスポート取得。 ――9月1日――成田空港出発。 ―― 〜 ―― シェアリングを一日の最後に行い、気付いたこと、疑問などを皆で共有する。 調査研究は、各自自由に活動し、交渉や簡単なアムハラ語を用いて積極的に行う。 できれば自分の関心に基づいて調査し、解明するよう心がける。 元気に活動する! ――9月21日――成田空港到着。 ――9月29日――打ち上げ飲み。 ――10月2日――内藤さんのラジオ出演(井上、宮本、木村、高橋)。 ――10月――ゼミ内報告会 報告論文集作成 エチオピア旅行ビデオ作成 |
周囲の変化 | このプロジェクトの目的を「研修旅行をエチオピアで達成すること」としか定めていなかったため、周りへの影響にまで計画の段階で考えが及んでいなかった。参加者自身で勉強し、現地でいろいろと学んでくることを漠然と想像していた。しかしながら、参加者、協力者のこれまでの変化は目に見えてとても大きい。 @ゼミ生同士の団結― 第一に、この巨大ゼミで今までの友達の枠を越えた新しい付き合いが生まれたことは大きい。21日間という期間をともに過ごし、体調を崩したり、嫌なことがあった時、誰かが辛い時、必ず助け合って過ごした。 Aゼミ生の「エチオピア」に対する接し方― 事前の取り組みには課題も残るが、現地での参加者の「エチオピア」へ向かう姿勢はとても自然で距離が無かったように思う。いろいろ失敗もしたが、みんなで考えて、一人一人自然と接し方を身につけていった。 Bエチオピア大学生の日本人感― 大使館の方の個人的な付き合いがきっかけで知りあうことになった現地学生3人にも変化が見られた。未だ日本人がそれほど多くないエチオピアで、彼らは、同年代の学生とのこれほど長期の交流は初めてではなかっただろうか。援助してくれる大人の人という特別な存在以外で、私達のような「素の日本人」は彼らにどう映ったか。エチオピアを見に行ったのは私達だが、確かに彼らも私達に日本を見ていた。 初め彼らは、ガイドをすることは嫌々だったと言う。頼まれた仕事だということもあり、それでも親切に、常に笑顔で接していた。本当の笑顔に変わったのはいつからかは分からないが、最後には確実に強い絆ができていた。 C友情― 学生ガイド三人と旅行会社の運転手、ガイドとの絆は全員が均等に築けていた。一緒に笑って、一緒に泣いた。 Dシェアリング― エチオピアの社会問題や宗教、自分の行い、日本での生活にまで及ぶ広範な問題をみんなでシェアすることで、他人におこった出来事、問題を自分の問題として考える経験ができた。意識をシェアすることでの相互の理解には、この旅の成功にとても大きく影響したと思う。 |
自分たちの変化 | ――高橋 淑子―― 旅行前とその後で変わったことの一つに、自分に対する危機感がある。英語もできない、はっきりとしたリーダーシップも取らない。私が本当にリーダーだったかはとても怪しい。それ以上に、人間として自分は何も技術を持っていないことを痛感した。大学生と言いながら経験、知識がほんのわずかだということ。変えなければいけない現状に、解決策を提案できる人間になりたいと強く思うようになった。第三世界ではそこまで考えられないと実際の役には立たないのだとわかった。 さらに、これまで宗教というだけで敬遠してしまっていたが、「人を信じること」と「神を信じること」を並列して考えることが、私にとってはなんだかとても新しい発想で気に入っている。私は、もちろん人を信じるほうにかけている。 その他に変わったことは、エチオピアが大好きになっていることだ。またあの子に会いたい、またあの星空、景色がみたい・・・と浸ってしまう。笑 さらに、プロジェクト前の自分とは、大勢のお世話になった人とのつながりが財産として残ったという点で大きく違う。参加者との絆の太さも違っている。あとは・・・いい経験ができたという幸福感かな?他はまだ考え中です・・・ |